愛しい不自由
ナさんの腕にジナの髪が絡まってどうしようなカルジナ小話。(初出2023.1.23)
なお、いざと言う時には再臨状態を変えるか霊体化すればいいとはわかっている。
事情はさておくが、ガネーシャ神は寝て起きたら身動きが取れなくなっていた。
すわ事件か怪奇現象かと言いたいところだが、原因は明白で、動けない理由はなんてことはない。髪が絡まったのである。
ガネーシャ神の髪は長い。腰を優に越える。量も多く、その髪を干し草のようだと評したのが誰かは言うまい。
何はともあれ、依り代の不摂生と不精を忠実に再現した髪が絡まることは良くあった。その対処法も心得ている。一、ほどく。二、切る。以上二択。他にあるとすれば、霊体化だろうか? しかしガネーシャ神は疑似サーヴァント。その手の機能は実装されていないのだった。
彼女は髪が絡まるたびに鋏で切ってきた。ほどくより早いし楽であるので。少々長さがちぐはぐになってもご愛敬。気づく人物は一名ほど心当たりがあるが、彼女は物言いたげな相手に素知らぬふりを続けてきた。
――これはそのツケなのか。
ガネーシャ神は我が身の今後を思った。今日もガネーシャ神の髪は絡まった。いつものことだと、彼女は縺れたココアブラウンを切ることにした。ほどくのは絡まった状況と物体的に現実的ではなかった。だがしかし、鋏を求める彼女にまさかの手段が提示された。
「剥ぐ」
「……その主語は?」
ガネーシャ神は慎重に問い返した。
彼女の様相に無言の否を感じたカルナは「経験はある」と、説得を試み始めた。ガネーシャ神は白髪のランサーの美々しいかんばせを見返した。青い瞳に揶揄の色は見えない。主語をはぐらかしたのは意図的か否か。
彼は説明と説得が不得意の一言に尽きたが、よりにもよって経験者アピール。それで「ヨシ!」に針が振れると、どうして思うのか。
芳しくない反応を見てとったカルナは「オレは得手の少ない男だが」と、耳にした百人中千人がそんなわけあるかー! と叫ぶであろうことを前置きした上で、
「これに関しては、オレ以上に上手くできる人間はいない。断言できる」
と、彼女の目を見て力強く言うのだった。
これが干し草のようと評された髪を梳くことであれば、ガネーシャ神は頷いた。カルナは経験者だった。その巧拙は別として、日課にもなっている。だが彼の「上手くできる」は、絡まった髪を櫛や指でほどくことではなかった。
「カルナさん、もう一回聞くっスよ? 剥ぐの主語は何」
「……黄金の鎧だ」
わずかな間をもたせた後に、カルナが白状する。
そう、黄金の鎧。経験はあるだろう。カルナより上手くできる人間もいないに違いない。というか、彼以外には不可能だ。ゆえにインドラはカルナを奸計にかけ、自らの手で身と一つとなった鎧を剥ぐことを求めた。
その逸話を経験として持ち出すのはどうなのか。うすうす気づいてはいたがこのランサー、目的のためなら手段を選ばないところがある。
「髪を切るかわりに、カルナさんが黄金の鎧を剥ぐと」
「そうだ」
「そうだ、じゃなーい! 何をどうしたら、その選択肢が発生するんスか!!」
ガネーシャ神は両手を振り上げた。途端に髪が引き攣れる感覚が頭皮に走る。カルナが慌てたように身を寄せてくる。「気をつけろ」とつむじのあたりに届く声に、彼女はいっそ千切れてくれないかと思う。
(なんでこうなるまで放っておいた。もっと早くに起こしてくれれば……)
彼女は我が身の見通しの甘さと、カルナの寛容を恨んだ。
寝て起きると、ガネーシャ神の髪は絡まっていた。カルナの黄金の鎧。その左腕の部分にグルグルと。どうしてそんなことにと言えば、ガネーシャ神がカルナの肩に頭を預けて転寝をしたからで、さらに言うとカルナが眠る彼女を起こさず、支えることに終始したからであった。部屋にはベッドもクッションもあったのだが、そういう気分の時もある。まさか髪が鎧に絡まることになるとは思わなかったが。
「これはオレの欲が成したようなものだ。お前が身を損ねるのは道理に合わない」
「ここで寝るって決めたのはボクっスよ」
「お前が起きるまで、オレは腕に髪が絡まっていることに気づかなかった」
「そうだけど、だからって剥ぐことなくない?」
「ある」
「ないでしょ」
どう考えてもリスクとリターンが合っていない。まず、彼女の髪が絡んだのはどちらが悪いという話ですらない。あえて言うなら、お相子だ。しかしカルナにはガネーシャ神が髪を切る方が由々しき事態であるらしい。
ガネーシャ神は自分の髪にそれほど価値を置いていない。髪は女の命ともいうらしいが、彼女の命は別にある。たとえば、ガネーシャ神の髪を干し草のようだと撫ぜる人であるとか、そういうことだ。つまりカルナの提案はナシである。彼女の主張にカルナはムッと口を引き結んだ。
「ボクは髪を切っても痛くも痒くもないけど、カルナさんは痛い」
これ以上の判断材料はあるまい。髪に痛覚はない。だが、カルナの鎧は違う。
宝具を展開する時に上がる声は、痛みよりも自らを鼓舞する意味なのかもしれない。それでも鮮血を滴らせる姿は、そうと決まっているのだとしても心臓に悪い。
「なんスか、その唖然とした顔」
「オレが痛いとわかっていたのか」
「わかんないって、どうしたら思うんスか」
カルナのなかで、ガネーシャ神はどういう扱いになっているのか。
目を据わらせた彼女に、カルナが腑に落ちない顔をする。表情に感情が浮かび辛いのがカルナという男である。つまり今は、相当に不可解に思っているということだ。
「わかっているならば、どうして切ることを躊躇わない。オレに苛まれて喜ぶ癖はないぞ」
「はぁああ!? 唐突に何の話!?」
ガネーシャ神は仰け反った。プチリと髪が幾筋か切れる感触がしたが、優先すべきは己の髪ではない。絶対にない。カルナには違ったようだが。グッと肩を抱き寄せる力に、彼女はパチパチと目を瞬いた。
「オレは、お前が損なわれることを好まない。どんな理由があるとしても、それ以外にないのだとしても」
「大げさな」
「大仰ではない。事実だ。オレはお前の髪が好ましい。無論、髪だけではないが」
「この干し草みたいな髪が?」
「そうだ」
カルナがしっかりと頷く。絹のように美しい髪ならば価値もあろう。だがカルナは絹より干し草が良いらしい。
「おまいうって、カルナさんのためにあるような言葉っスね」
あるいは、人のふり見て我がふり直せか。大仰に息を吐いた彼女に、カルナは「しかたあるまい」と言う。耳朶をなぞる声は柔い。不貞腐れるガネーシャ神に、まるでわかってくれと言うようだった。
「オレはお前が大切なんだ。道理も蹴る」
「蹴っ飛ばし過ぎっスよ」
「過ぎてはいまい。いくら蹴ってもなくならない」
「ほんと、おまいうっスね」
この男ほど、説得が下手な人間はいない。
ガネーシャ神の髪とカルナの黄金の鎧。どちらが貴重かなど、論じるまでもない。だが、何を等価と思うかは人それぞれだった。カルナにはカルナの、彼女には彼女の価値観が、大切にしたいモノがある。
「剥ぐのはなし。ボク、カルナさんが痛いの嫌いっスよ」
「だが剥がねばこのままだ」
「あー、ほどくの頑張ってみる?」
「……あまり現実的ではないな」
カルナは左腕が拘束されているも同じ。ガネーシャ神は身動きが取れない。切るのはカルナが、剥ぐのはガネーシャ神が不可。解決策はあるのに手詰まりだった。
だがずっと不自由な状態を続けるわけにもいかない。いつ何が起こってもおかしくないのがこの世界の現実だ。今日は休みの予定だが、こうしている間にもアラートが鳴り響くかもしれない。いざとなれば、カルナがガネーシャ神を担いでいくだろうが。
そこまで考え、ガネーシャ神はクスリと笑った。なんてしょうもない想像だろうか。
「どうした」
「このままだと、カルナさんに運んでもらうしかないなって思ってた」
「それも手だ」
「すごく良いこと聞いたみたいな顔してる」
「悪く思うところがない。言っただろう。オレはお前の温もりに甘んじる。叶う限り、長く得ていたい」
「そんなに?」
「そんなにだ。危急の時には、オレが運ぶ」
「はいはい、その時はお願いするっスよー」
「あぁ、任された」
戯れる声が堪らず、カルナはココアブラウンに頬を擦り寄せた。ギャッとお道化る姿に、自然と頬は緩む。
「お前は温かい。とても、この髪も干し草のようだ。だからオレは、これからも同じ轍を踏む」
肩に預けられた頭の重み。閉じた目蓋の白さ。寝息を吐く唇の淡さ。肌を擽る髪の慕わしさ。腕に髪が絡んでも気づかないほど、夢中になる。カルナは与えられた幸いを感じる以外を忘れていた。要らないとも思った。
「うぐぅ。ご機嫌なのはわかったけど、戦士がそれで良いんスか」
「良いんだ。キミ以外にはならない」
戦いに全てを差し出す。クシャトリヤとしては、失格かもしれない。
だがカルナは、この不自由な腕が嬉しくて愛しい。
それは生前になく、死後に知ったことだった。
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