その嘘を暴けない
ジナの嘘に気づいても嘘だと言えないナさんの話を書きたかった。(初出2022.12.22)
ジナコのクリスマスは、ベッドの上で終わった。
ケーキもチキンも食べたのはベッドの上で、プレゼントの受け渡しも以下略。十二月二十五日、彼女は終日ベッドから出ることができなかった――と事実を羅列すると薄くて高い本のお約束年齢制限イベントの気配だが、現実はロマンティックの欠片もなかった。
(これ、いつまで続くんスかね)
チラリと視線を上向ければ、彼女の一挙一動を見逃すまいとする双眸と相まみえる。この三日ほど、ジナコはカルナから最上級の監視を受けている。
ベッドから出るのは可だが、移動にはカルナが必須。生理現象だけは無理ぃ! と泣いて喚いて回避したが、それ以外は有無を言わさずついて来る。介護というには度を越している。これを世は軟禁というに違いない、とはジナコの主張である。
今のところ、マスターを始めとした面々がカルナを止める様子はない。何故かといえば理由は明白。現在のジナコの信用度はゼロを超えてマイナスなのだった。頼まれれば断らない施しの英雄が、断固として首を横に振るレベル。ある意味、前人未到を成し遂げたと言えよう。誰に言っても溜息を吐かれる未来しか見えない。
(身から出た錆と言われればそれまでだけど、こうなるとは思わなかった)
認識が甘かった。ジナコは嘘を吐き過ぎたのだろう。
もっとも、ジナコの嘘は多くにおいて己を騙すためのもの。他者を搾取するものではないので、迷惑はかけていない……はずである。あくまでジナコの主観では。
視線に気圧されるように身じろげば、それだけでカルナの注視が深まる。
「そ、そんなに見てなくても大人しくしてるっスよ。ボクを誰だと思ってるんスか。頼まれたってお布団から出ないのがガネーシャさんの大正義っス!」
「お前の怠惰は承知している。お前は驚くほど動かない。だが、まったく動かぬわけではない。思うことがあれば、這い出すこともあろう」
「なんであえて這い出すって表現を選ぶ」
驚くほど動かないと言われたことにも物申したいが、這い出すは大いに聞き逃せない。ジナコの指摘に、カルナが逡巡を見せる。
「間違っても歩こうとは思わないことだ。裂ける」
「そんな苦い顔で裂ける言うなーっ! 普通に傷が開くって言って!?」
ジナコは諸手を上げて抗議した。途端にカルナが近づいてくる。パシリと乾いた音は、カルナがジナコの両手首を掴んだからだった。
「無闇に動くな」
告げる声は硬い。ジナコを見下ろす瞳はもっと硬く、本当に鉱石のようだった。薄く潤む涙膜が、青いそれが人の瞳だと教える。
「頼むから、大人しくしていてくれ」
懇請する男に、ジナコは上手く頷くことができない。浅慮に定評のあるジナコだが、ここで嘘を吐く非情はわかっていた。
クリスマスの前日まで、ジナコは絶対安静を言い渡される重傷人だった。クリスマスを終えた今は、安静を約束させられた怪我人である。これがベッドから出るにも許可がいるワケだった。いつもは布団から出ないことで人様の手を煩わせるジナコだが、時にはこういうこともある。
現実のカレンダーに合わせれば、十二月二十三日。マスターに帯同したジナコは、ちょっとどころでなく無理をした。詳細は精神的に堪えるので伏せるが、良く発狂しなかったな、という思うほどには痛い目に遭った。
帰還した彼女は即断で医務室に担ぎ込まれ、そのまま翌日を迎えた。翌々日も医務室に行けば会えるジナコさんだった。ベッドの上でのクリスマスは、そういうコトである。
翌日に目が覚めたのは疑似サーヴァントの頑丈さだ。ジナコが怪我人であることに変わりはないが、魔力パスも神核も安定している。こうしてベッドにいる必要は、実のところない。見下ろす体は素肌を探す方が難しいレベルで手当てされているが。ミイラ一歩手前とは、内心で思うに止めている。世には茶化してはならないこともある。しかし――。
(痛くないのはいいけど、見た目がすごい。脳がバグる)
包帯をとれば見えるのはモザイクなし絶対ダメ。骨は一日目で補修されたが、表面までは魔力が回り切らなかったのだ。疑似サーヴァントは半分ぐらいは生者ようなものなので、霊体化によるエーテル体の再構築ができない。不自由だ。だけれど一息に治れば、それはそれでジナコは慄くのだろう。
包帯交換のたびに「ひぇええ」と情けない声が出るのは不可抗力。カルデア医療班は見なければ良いと言うが、見ないのはそれはそれで怖いので、ジナコは半目でかすり傷と表すには無理のある傷を見ている。
(薄目じゃなくて、ガン見してくる人もいるけど)
主に目の前に。
ジナコは自分の傷の経過よりも、カルナを見ている気もする。負傷は手足だけではないので、正直デリカシー! と声を大にして言いたいが、しかして追い出すのも気が咎めて言い出せずにいる。医療班的には説明の手間が省けるので、カルナの同席はアリらしい。医療班の良心こと、シャルル=アンリ・サンソンをして曰く、カルナへの説明は「骨が折れる」。
ジナコは曖昧に笑うより他はなかった。医神が「過保護につける薬はない」と匙をぶん投げたことは知っている。
「ところでカルナさん、ボクはいつまで万歳の恰好してれば良いんスか」
「……」
「何か言って!? 大人しくしてろって言ったのカルナさんスよね!?」
再び声を上げたジナコに、カルナはグッと眉間の皺を深くした。「真の英雄は目で殺す」を体現する男はこれで気の抜けた顔もするのだが、このところはお休みである。
「治りが悪い」
「正常範囲内っスよ。聞いてなかったの?」
「聞いていた。心情の問題だ」
答えると同時に、カルナはそろりと、それは慎重な手つきでほとんど素肌のない手首を辿った。この上なく丁寧なそれに、ジナコはピシリと固まった。男から示される感情に応える方法をジナコは知らないのだ。
カルナが「痛むか」と、もし頷けばどうなるのかということを問う。「平気」と告げたのは本当だ。ジナコが硬直したのは現状認識にであって、決して体が痛んだわけではない。痛覚はしっかり遮断されている。
麻酔よりも確実に痛みを取り除くそれは、あまり望ましい治療ではないらしい。しかし過ぎた痛みは発狂を誘発するので、ジナコの性情を鑑み痛覚を切断すると相成ったのだった。
カルナはジナコの手を掴んだまま怖い顔をしている。脈拍を確かめるようだと思うのは、彼女の感傷かもしれず、事実であるのかもしれない。カルナはあまりそういうことを話さない。少なくとも、ベッドから動く気もない人間から目を離せないと思うほどには、考えることがあるのだろう。
「ボクはできることやっただけっスよ? 痛いのはイヤだけど、仕方ないなって思ったのもボク」
「仕方ないとは、他に言い様はないのか」
「ないっスよ。マジでボクかって言うのが本音。一般ピーポー舐めるなっス」
フフンとジナコはおどけた。カルナは「そうか」と息を吐くと、掴んだ時とは真逆の穏やかさで、ジナコの手をシーツに下ろした。
「それでも、お前は平気だと言う」
どこか途方に暮れた声音に、ジナコは溜息を吐こうとしてやめた。これ以上、カルナに根暗モードに入られては困る。
「ボクが嘘つきなの、カルナさんには今更では?」
「今更だな。良く知っている」
カルナはベッドの傍に座り込むと、そのままポスリと寝台に頭を預けて動かなくなった。拗ねたような姿は珍しい。ひしひしと無言の訴えを感じる。
「お前の嘘は性質が悪い」
「人聞きの悪いこと言わないでよ」
「どうしようもない」
「追い打ちどーも」
「お前はこれからも嘘を吐くのだろうな」
「吐かなきゃ、それはもうボクじゃないっスよ」
「確かに、その通りだ」
カルナは深々と、肺が空になるような溜息を吐いた。伏せられたままの背が大きく上下する。生きている。気づいた当然が胸に落ち着く。安堵に似たそれは、俄かに視界を滲ませる。
ジナコは生きるか死ぬかの瀬戸際を突っ走った。現実に完全勝利Sはあり得ないのだから仕方がない。戦況は悪かった。だけれどジナコにはまだできることがあって、そのできることをやれば勝ち目が出るとわかっていた。
たとえば、ジナコが敵の目を引きつけて逃げ回る。抵抗も負傷も大げさに、逃げて逃げて逃げ回る。手負いの獲物を見逃す者はそうはいない。神霊を仕留める機会となればなおのこと。見るからに戦闘に不慣れなジナコは、一騎でジタバタしても罠とは思われ辛い。碌に戦えもせず逃げる姿は敵の優越を煽るだろう。
肉を切って骨を断つを地でいく作戦だった。他に手があれば、大手を振ってご遠慮したい苦肉である。だけれど、手持ちの駒を幾度並べ替えても、ジナコに任せる以上に戦況を覆す確実性は見つからなかった。
しかたがない。ジナコはそれができるのだ。やるべきことをすれば、後はマスターたちがどうにかしてくれる。千年単位で引きこもることを思えば大したことはない。
『しょうがないっスねぇ。ガネーシャさんの本気を見せてやるっス!』
ジナコは嘘を吐いた。自分にも、彼女を見る誰にもバレバレな虚言だった。
「一応言っとくけど、ボクがやるって言ったの、自己犠牲とかそういうのじゃないからね。後はマスターたちがどうにかするって言ったから、ボクはそれを待てばいいだけで、だからオーケーしたの。怖かったし、痛かったし、後悔しなかったかって言えば、めちゃくちゃしたけど……」
そこで言葉を切ると、ジナコはベッドに伏せたままの白髪に視線を落とした。カルナがこういう態度をとるのは珍しい。
このランサーは「自分がいれば」と思うのだろうか? カルナはジナコに何も言わない。心配はする。怪我をすれば過保護は加速する。それでも、戦うなとは言わない。
(物凄く物言いたげな顔はするけど、ダメとは言わないんスよね)
ただの一度も。
その胸中は穏やかではないだろう。カルナは好意を隠さない。手を取る指先ひとつからも、ジナコが大切だと伝えようとする。
微動だにしない頭を見ていると、カルナの背が再び大きく上下した。ムッとジナコは眉根を寄せた。言いたいことを溜息に変えたように見えたのだ。
「なんスかそのこれ見よがしな溜息! 言いたいことがあるなら言ったらどうなの」
「……」
「だんまりするなら無闇に動くっスよ」
とんだ脅しだが、効果はあるだろう。ジナコにもそういう自惚れはあった。
「オレは、嘘がわかる。そういう者だと決まっている」
くぐもった声が話し出す。見えない面に、ジナコは溜息に聞こえない程度の息を吐いた。
「そうみたいっスね」
カルナの『貧者の見識』が実際どのように嘘に気づくのかはわからない。ただ、嘘に騙されない人生というのは、苦難を選ぶようなものだと思う。人は嘘を吐く生き物だ。ジナコも嘘を吐いている。カルデアに召喚されてから、嘘を吐かなかった日はない。
「お前の嘘を知っている」
「カルナさんは、ボクが嘘つくのイヤ?」
「厭だと言えたらどんなにいいか」
カルナがようやく身を起こす。白髪の影からジナコを見る目は、複雑な色彩をしていた。震える手が傷づくことを覚えた体に触れる。ゆっくりと、現実にそこに温度があることを知ろうとするように。
「お前は性質が悪くなった」
「ふひひ、サーセン」
「まったく悪いと思っていない返事だな」
「悪いと思ってないっスからねー。カルナさん。ボクは嘘つきで、これからもずっと嘘つきだけど、今のボクが嘘つくのは、知ってるからっスよ。やることしたら、どうにかしてくれるって。ひねくれ者のボクでもそう思っちゃう以外がない。すごいとこっスね、カルデアって」
人は、それを信頼と象るのだろう。彼女は信じている。マスターを、その生存に死力を尽くす人々を、その剣となり盾となる英雄たちを。信じるがゆえに、彼女は嘘を吐く。平気だと、戦えると、そういう誰の目にも明らかな嘘で自らを偽る。
その嘘が彼女自身を苦しめるものであれば、カルナは暴くことができた。戦いから遠ざけることも、背に庇うことも、躊躇いはしなかった。もしも、■■■の嘘がそういうモノであれば。
「カルナさん、嘘だって言わないっスよね」
甘い声がカルナに笑う。戦場に立つことを、彼女が嘘なく平気だと言える日は来ないだろう。これからもずっと、■■■は嘘を吐く。
カルナは、抱き締めるかわりに身を寄せた。まろい肌から滲む血の匂いに、臓腑が軋む。それでも、彼女の嘘を知っていても。
「オレは、キミに騙されるしかないんだ」
ジナコの嘘を、カルナはもう暴けないのだ。
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