12センチの理由
現代設定カルジナ。ジナさんヒールを履く。カルさん歩行訓練に付き合う。(初出2020.12.2)
ジナコは踵のある靴が苦手である。というか、履いたことがない。
彼女の靴はぺたんこが基本だ。歩きやすさは大事。くたびれたスニーカーにも五分の魂。だがしかし、今、ジナコはヒールのある靴を履いていた。12センチもあるピンヒールだ。
立つだけで足が震える。爪先が痛いし、そもそもこのか細い踵で歩くだけの筋力がジナコにはない。躓いて転ぶ自信はある。
「人類は、どうしてヒールなんてモノを生み出したんスかね」
「オレには及びもつかないが、威力は確かだ」
感慨のこもった回答に、ジナコは目の前に立つ男を見上げた。
「もう一回、踏んづけてもいい?」
「あえて踏むと宣言するとは大したものだ。だが、オレも頑丈さにはそれなりの自負がある。幾度でも受けて立とう」
「ガチレスどうも! わざと踏んだりしないッスよー。頑丈云々はおいといて、カルナさんに怪我させるわけにいかないし、後はボク一人でどうにかするんで、手は放してもらって大丈夫」
「できると思うのか」
そう言うと、カルナはジナコの両手を握り直した。
「ジナコ。その陸に上がったジュゴンもかくやと言う足で、オレを踏みつけることを躊躇う必要はない」
「ジュゴンって、踏みつけるって、もっと他に言い方ないんスか。躊躇うに決まってるでしょ。ピンヒールっスよ? 痛いに決まってるじゃん」
「問題ない。望むところだ」
「カルナさんはすぐ誤解しか招かないこと言う~。そんなに嬉しいの?」
「それは、問う必要があるのか?」
「質問に質問で返すの、どうかと思う」
「そうかも知れないが、答えが明らかなことを聞くのもどうかと思うぞ」
どこか楽しむような口調に、ジナコはムッと眉根を寄せた。カルナが一歩、後ろに下がる。彼に手を引かれるままに、ジナコは歩く。
カツリと細い踵が不格好に床と打ちあう。木目の床は、年季ものだ。白を基調とした靴先は、力の入れどころが不明だ。ジナコはカルナを掴む手を強くした。転ばぬ先のカルナさんである。
「気が変わったならば言うといい。今からでも遅くはない」
「それ、どんな気遣い? もう決めちゃったし、変更は不可っスよ」
12センチは大きく出過ぎたな、とは思うけれども。
ジナコはヒールで歩く練習をしている。人生で初めてと言っていいピンヒールだ。高さは12センチ。ヒールバージンが手を出していい高さじゃない。爪先は痛いし、膝も震える。不必要に力を入れているせいで、腰だって限界だ。
でも歩くしかない。ジナコは一人で辿り着かなければいけないのだ。彼女に隣を歩く人はいない。それでもやってみたいと思ってしまった。
「カルナさん。明日は手出し不要だかんね」
「わかっている」
「……うーん。カルナさんのことは信じてるけど、今回だけはピコッと不安」
「案じることはない。その時はその時だ」
「まぁ、そうなんだけどね。カルナさん、後ろ見なくても歩けるとかすごくない?」
「オレは前を見ていてなお、転ぶお前の方が凄まじいと思う」
「ジナコさんはご期待には添わないっスよ?」
ニッとジナコは笑った。
ジナコが転べば、カルナは助けようとするだろう。それは今回だけは大いに困る。
彼女はカツリ、コツリと不規則な足音を意識する。少なくとも、このピンヒールを履く時、ジナコはカルナの見ている前で転ぶ。明日のジナコのために、今日のジナコはヒールで歩く練習をしている。カルナがいるのは、良くわからない。呼んだ覚えはないのだけれど、当然のようにジナコの手を引いている。
この男はいつもそうなのだ。ジナコがどんなに手酷く突っぱねたって、こうと決めたら梃子でも動かない。根競べはいつだってジナコの負けで、絆されるのもいつだってジナコが先だった。
「カルナさんこそ、これでいいの?」
「何がだ」
「まだ間に合うって意味」
「間に合う必要はないな」
「そっか」
ジナコは両手をひいて歩く男を見る。カルナは真剣な顔でジナコの一挙手一投足を見ている。
光を見た人がそうするように、ジナコは目を細めた。カルナは床から天井近くにまで伸びる窓を背にしていた。射し込む陽光が眩いばかりだ。
好みではないけれど、カルナは綺麗な人だ。ジナコはどうしたって釣り合いようがない。でも、カルナはこうして今でもジナコの手を握っている。欲が出るのはしかたない。それが12センチの理由だ。
ジナコとカルナの身長差は25センチ。理想は10センチ差であるらしい。3センチは誤差でいけるはずだ。10センチだろうが25センチだろうが、そう変わりはないだろう。でも少しでも美しく見えるなら、ヒールバージンも返上しようものだ。
カルナが立ち止まる。ジナコも足を止める。ジナコがヒールで歩く距離が終わったのだ。
「さっきよりはマシになったっスね。速度も上がった気がする」
「……ジナコ。心にもないこと言うのはやめておけ」
「そんなことないんだから! ピンヒールだけでも転ぶ要素満点なのに、これにさらにロングドレスを加算。逃れられない予定調和の気配がする」
「お前が道半ばで躓き転んでも、オレはそれを嬉しく思う」
「うえぇー、そうなの?」
ジナコには突然のドS宣言にしか聞こえなかったのだが、カルナには別の意味があるのだろう。
コクリと頷いた男は、その光景を思うように瞳を細めた。
「美しいものだ。躓き転んでも這い上がってくる。お前が、お前の意思で。美しく思わぬ理由がない」
「這い上がるって、ほんと言い方。カルナさん。花嫁がバージンロード這いずってきてもいいんスか」
「かまわない。ジナコ、歩けないと言うならばそれも良い。お前を迎えに行く理由ができる」
「大丈夫ですー。ジナコさんもやる時はやるんだから。花婿は、待ってなきゃダメっスよ。アタシが貴方のところに行くんだから」
ジナコは神さまを信じていない。神さまに誓う言葉なんて持ち合わせがない。床から天に伸びる極彩色のステンドグラスも、彼女には長細くて派手な窓だった。送り出してくれる家族も、隣を歩いてくれるパパもママもいない。
それでも。
病める時も、健やかなる時も。この人と共に生涯を誓ってみたいのだ。
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