夢は香らない
ジナ、採血を受ける。かすかなカルジナです。(初出2020.7.13)
世の中には、三種類の人間がいる。
採血時に顔を背ける人間と、ガン見する人間と、採血前or後に倒れる人間だ。
細分化するともっと分けられるだろうが、この三つが大別だろう。ちなみに、ガネーシャ神はガン見するタイプだ。
「だって自分の血の色、気になるし」と言ったら「そういうものか……?」とカルナには心底、怪訝な顔をされた。彼は顔を背けるタイプだった。めちゃくちゃガン見しそうなのに。
「見ていても構わないんだが、手際を見られるのは気まずいかと思ってな」
気遣いだった。確かに、カルナにずっと見られた状態で採血と言うのはハードルが高い。まぁ、彼が血を採られることは滅多にないが。
(あ、もうカルナさんが帰ってくる時間だ)
ガネーシャ神は壁に掛けられた時計に目を見開いた。
今日のカルナは周回で素材集めをしている。お迎えは避けたい。彼はガネーシャ神がひとりで採血に赴くことに難色を示す。
ガネーシャ神が採血を受けるのはカルデアの医務室だ。危険など何もない。彼女は「さっさと周回行く!」とその背を押したのだが、実を言わずとも気にかけられて悪い気はしなかった。彼女は彼女であるので、素直に口にはしないけれど。
(間に合うか、ギリってところっスね)
ガネーシャ神は、カルナが帰ってくる前に採血を終える予定だった。その予定よりもはるかに遅れたのは、単純に彼女が医務室に来るのが遅かったからだ。
(だって、思うところも無きにしも非ずって言うか。いや、納得はしてますけど?)
細い管を通る、鮮血と言うには暗い色をした液体。彼女を動かす命の源。今は純然な魔力であるそれを、ガネーシャ神は見つめた。
カルデアで、最も採血を受けているサーヴァントは彼女だった。それはガネーシャ神が疑似サーヴァントであることには起因しない。彼女の血液には、もっと切実な理由があった。
ひと月に一度、ガネーシャ神は小さな採血管に三本、血を提供している。今日がその日で、担当はシャルル=アンリ・サンソンだった。彼は手際よく採血を済ませると、気分はどうかと尋ねてきた。彼女は問題ないと答えた。
実際採られた血液は微量であるし、ガネーシャ神は現界してからずっと採血を受けている。あと、彼女には貧血で倒れるような繊細さの持ち合わせがなかった。まことに残念ながら。
「じゃあ、ボクはこれで」とペコリと真面目なアサシンに挨拶をすると、ガネーシャ神は、ぺたぺたとノウム・カルデアの廊下を歩いていく。行く先はもちろん、お手製引きこもり部屋だ。カルナのお迎えは受けずに済んだし、これで向こう一か月は安心である。よほどのことがなければ……。
脳裏に採血管に揺れる暗褐色が過る。彼女は、血液の行方を知っている。
ガネーシャ神は、白いガーゼの貼られた左腕を持ち上げた。疑似とはいえ、彼女はサーヴァントだ。小さな針跡などすぐに消えてしまう。それでも手当された傷口がくすぐったい。
「ボクは平気」
ガネーシャ神はカルデアが好きだ。
マスターも、マシュも。所長もダ・ヴィンチちゃんも。パールさんや姫さんたちも。それに何より、ここにはカルナがいる。
嫌だとか怖いとか、そういう心も隠しても余裕がある。だから、大丈夫なのだ。
ガネーシャ神の血液は、アルジュナ・オルタに渡されている。
彼が実際、それをどう扱っているのかは知らない。ただ、彼女の血液の介在がなければ、アルジュナ・オルタは現界を維持することすら覚束なくなるのだった。
アルジュナ・オルタは、ガネーシャ神とほぼ同時に現界した。そして彼は、カルデアの電力魔力を上手く循環させることができなかった。ガネーシャ神の血液――障碍除去の権能を有する魔力を投与することで、彼の何らかのエラーを鎮静化させている。
カルデアの特殊な召喚システムに因るのか、異聞帯と言う切除された世界を生きたことに理由があるのか、原因は未だに定かではない。
「あの人、超強いし。激レアだし。召喚したなら、そりゃ育てたいのは当たり前。わかる。でも、何でボク? そこはマスターとか……いや、ガチ勢がヤバイからやっぱなし!」
独り言ちると、ガネーシャ神はもぞもぞとベッドに潜り込んだ。
カルナはもうじきに帰って来る。その前に眠ってしまいたかった。起きているのは、少し怖い。
「ボクは何にも知らないんだから」
枕に顔を押しつけると、彼女は深く息を吐いた。
◆◇◆
渇いた大地に、乾いた風が吹く。
インド異聞帯。創世と破壊の大地。剪定が定まった人類史が始まりは、戦争の時代であった。
夥しい屍のなかに英雄がいた。長い黒髪の、どこか遠い月の裏の夢で見たような――知るはずのない姿だ。見えるはずのない景色だ。
(これは、夢)
音はない。嘆きの声は聞こえない。色はおぼろだ。表情すら見えない。それでもひとつだけ、彼女に届く現実があった。
(……甘い)
息を吐かずとも、彼女はそれを知っていた。
まだ若い、年端もいかぬ頃。その世界に等しい両親の死をもって知った。
弾けた肉と混じる前。砕けた骨に触れる前。死に辿り着くまでの刹那。煮詰めた蜜よりもなお甘く――人の血は、類稀な芳香を放つ。
それを彼女は長く忘れていた。死を必然に、壊れるほど心を浚った月の裏側でもずっと。
彼女は瞼を閉じる。夢は夢と知っている。それでも。
甘い、甘い――。
夢に香りは滴り落ちる。
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