砂にも花にも口づけない

趣味のにこごったインキュバス&サキュバスカルジナです。書きたいとこだけ忠実に書いている。(初出:2020.7.8)


この世界に神などいない。実はいるらしいけれど、少なくともジナコに優しい神様はいない。

「なんで、どうしてよっ! ボクが願ったのは、このアタシじゃない!!」

ジナコはどこかにいるらしい神様を、何よりもジナコを裏切った自分自身を罵った。

足が震える。手が戦慄く。唇は溺れたように不規則に息を吐く。泣くことすらわからなかった。空が落ちてきたような、地面が無くなってしまったような――怖い。今この時から、どう生きていけば良いのか。

あの人だって、ジナコが「こうなる」なんて思っていない。荒く波立つ感情のままに、鏡の中の自分を睨みつける。

ありふれたココアブラウンの髪に、榛の瞳。白い肌の美しくもなければ醜くもない姿。年の頃は十三、四。

性を感じさせない幼い体は、それでも少女だった。

淡い柔らかさのある胸が嫌だ。男を受け入れるカタチをした性器が嫌だ。ジナコが欲しかったのは、この姿ではない。

ジナコが欲しいのは、あの人――カルナと同じ男の体だ。

「いやだ。いやだよ」

もう一度、やり直したい。

出来ないことはわかっている。これは一度きり。ジナコは死ぬまでこの体で生きていくのだ。それは、絶望だった。

何で、どうして。ジナコは女なのだ。どれだけ待っても、少女の姿は変わらない。

「……ボクはほんと、ダメっスね」

鏡の中で、少女が笑っている。悲しみも怒りも見つからない。瞳は乾いたままだ。泣き方がわからない。だから笑う。笑う以外に、どういう顔をすればいいかがわからないから。絶望でも笑うことは出来るのだ。それは人も、それ以外も変わらない。

ジナコは人間ではなかった。淫魔だった。

インキュバス、サキュバスと人に呼ばれるそれは、人に淫らな夢を見せ、あるいは性行為そのものをもって精気を得る。淫魔は幼体の間は性が未分化だ。彼らは男にも女にも、どちらにでもなれる。

物心がつく前に二親を失くしたジナコの性認識は曖昧で、その精神は明確に体に現れていた。昨日まで、ジナコは無性だった。

でも、今日。ジナコはサキュバス――女性体に分化した。

ジナコはインキュバスになりたかった。カルナと同じになりたかった。そうカルナにも伝えていた。

カルナは独りぼっちになったジナコを見つけて、育ててくれた可笑しなインキュバスだった。

「これからどうしよう」

カルナに話して、その後はどうしよう。

彼はジナコを傍においてくれるだろう。一人で淫魔として生きていけるまで、育ててくれるだろう。淫魔の生き方を教えてくれるだろう。今までがそうであったように。

ジナコは、鏡の向こうで笑みを浮かべる自分を見る。悪魔は鏡に映らない。これは、ジナコのために特別に誂えられた鏡だった。

小柄なジナコには広い寝台も、本棚に詰まった物語も、柔らかな毛足の長い絨毯も、美しい細工の施された遊戯盤も、両手いっぱいに抱き締めることの出来るネコのヌイグルミも、全部ジナコひとりのものだ。寂しがりで泣き虫な幼子を慰撫するために、カルナが与えたものだった。

カルナはジナコに優しかった。甘すぎるぐらいに甘かった。彼自身も捨て子であったことに因るのか。

ジナコは彼の温情と精気を施されて育ってきた。飢えも寒さも知らず、不自由を知ることもない。温室の花のように生きてきた。

淫魔は群れない生き物だ。永遠に同じ明日が来ないことはわかっていた。成熟すればジナコはひとりで生きていく。だから、カルナと同じになりたかった。もう叶わないけれど。

ジナコは、鏡の中で微笑む女の唇を指先でなぞる。

昨日まで、ジナコはどうやって笑っていたのだろう?

◆◇◆

ジナコはインキュバスになりたいと言っていた。

淫魔がどういう種族か、理解し始めた頃には決めていたようだった。何故と訊ねれば、ジナコは厳めしい顔をした。

「カルナさんは頼りないんスよねぇ。ボクが養ってあげないとダメかなーって」

「養う。お前が、オレをか?」

「そう。カルナさん、淫魔なのに口下手だし、嘘つけないし、何でも施しちゃうし。いつも貧乏くじ引いてるじゃない?」

指折りカルナの至らないところを数えて「カルナさんは淫魔に向いてない」と言う。向いていないと言われても、生まれた種族は変えられないものだ。確かに、カルナはインキュバスに不適格なのだろう。

淫魔は精気を得る対価に人に快楽を与える。彼らが望む淫らな夢を見せる。だが大前提として、人の望みを正確に汲み上げ誘惑できなければ話にならない。カルナは自他ともに認める話にならないタイプの淫魔だった。

努めてはいるのだが、誘惑する人間を八割の確率で激怒させ、もう一割に恐怖され、残りの一割に同情された。この同情票の一割がカルナの食事である。

淫魔の性質上、食事は性行為に因るしかない。しかしその他の生活に掛かるものは、武働きで成している。彼はインキュバスだが、非常に腕が立った。魔獣や妖魔を狩って活計を得るのは性に合っていた。

本来の淫魔は戦う力を持たない。力のある魔族に囲われるか、侍らせるかが淫魔の在りようである。だがカルナには、他の淫魔たちのように貢がれるなど夢のまた夢であった。

実際には彼を囲おうとした者は相当にいたのだが、カルナは相手の正気を真剣にキレッキレに慮り、最終的には腕力で解決してきた。

「オレに襲い掛かるなど、何かの呪いに罹っていたのだろう。信用できる魔女を紹介したが、オレで発動するほどの誘淫の呪いだ。無事に解けると良いが」

「そうっスねー。でもそれは、カルナさんが気にしてもしょうがなくない?」

一日の出来事を話し終えると、ジナコは「カルナさんは本当に淫魔に向いてない」と笑うのだ。

「向いていないと言われても、オレはインキュバスだ」

「それは知ってる。カルナさんがインキュバスじゃなきゃ、ボクは生きてないもん」

小さな唇がカルナに向けて開かれる。早くと強請るのは、カルナの口づけだった。それは快楽を欲してではない。食事を求めてだった。

口づければ、すぐに小さな舌が口内を擽った。渇いた者が水を舐るように、一心にカルナが人から得た精気を求める。

淫魔の幼体は、人から直接精気を得ることが出来ない。カルナもそうだった。

彼は太陽光を浴びていれば腹が満ちたので苦労はなかったが、これは淫魔としては規格外だった。今もその能力が残っていれば良かったのだが、成体になると同時に失われてしまった。

ジナコに食事を与えるとカルナの腹は空く。だが、カルナはジナコが十分と言うまで食事を与えた。カルナにはそれが出来るのだから、惜しむ理由がなかった。

ジナコは親を失くした淫魔だ。二親は悪魔祓いか魔物に喰われたのか。痩せこけた淫魔の幼体は、人と魔の狭間の空間で蹲っていた。もはや見る力も聞く力もなく、死を背に張りつかせていた。

人も獣も魔も変わらない。幼い者は一人では生きられない。カルナのような例外でもない限り、庇護者を失くせば飢えて死ぬ定めだ。

『どうして、カルナさんはボクを助けたの?』

『オレが淫魔で、お前に精気を分ける術があったからだ』

『……それだけ?』

『オレのような凡夫に育てられるのが不本意と言うならば、それは仕方がないことだ。他にお前を受け入れてくれる淫魔を探そう』

『別にカルナさんが嫌とか、そういうことじゃなくて。あなたには、ボクを育てる理由がないなって思っただけ』

ジナコを育てる理由。カルナは自分に出来ることをしているだけで、特別な理由は何もなかった。

『そっか。そうっスよねー。カルナさんは、出来るからしてるだけ。カルナさんに見つけてもらって、ボクは運が良いっスね』

それが嘘であることはわかった。不安をひた隠しにするジナコに、カルナは堪らなくなった。カルナは優秀とは程遠いインキュバスだ。

ジナコを飢えさせるわけにはいかない。そう思えば、狩りにも力が入った。九割の確率で失敗することに変わりはなかったが、落ち込むことは減った。落ち込む暇があるなら、次の食料を探した方が有用だ。

「ねぇ、カルナさん。もっとちょうだい」

幼い手が拙くカルナの胸を這う。精気を与える相手から快楽を引き出そうとする。

意味のない行為だ。カルナにジナコに惜しむものはないのだ。ジナコが食べたいだけ精気は与える。足りぬと言うなら狩りに行く。教えても、ジナコはカルナに触れる。

「ジナコ。何度言えば理解する。お前がオレに触れる必要はない。それは無意味だ」

「意味がないとか言わないでよ。ボクだって練習しないといけないんだから」

胸を辿っていた手が下肢に触れる。直截に快楽を与えようというのだろう。カルナはジナコの手を取ると「無意味だ」と重ねて告げた。

「オレを相手にしてどうする」

「そう、だけど」

縋るように見つめられて、カルナはジナコが望むならと思う。だがそれは、カルナには有益でもジナコには無益だ。

ジナコは淫魔だ。いずれひとりで人を誘惑し、精気を得なければならない。そしてジナコがインキュバスを望むというならば、相手は女ということになる。男性体であるカルナでは練習台にもならない。

カルナの交友関係は決して広いとは言えないが、サキュバスの伝手がないわけではなかった。だが、当のジナコが頷かない。ジナコは人見知りだ。カルナが外に出ている間は、部屋から出ることすら嫌がった。

『ボクは省エネモードで生きていきたいんス。お腹が空くことはしたくない』

ジナコは餓えに敏感だった。本当に幼い頃は少しでも空腹を感じると恐慌を起こした。親を失くし、餓えた記憶が魂に刻み込まれてしまったのだろう。だが、いつまでもカルナが食事を運ぶことも出来ない。

淫魔は縄張り意識が強い。カルナにその意識は薄いが、獲物とする人間の所有には諍いが起きた。

ジナコはカルナと同じインキュバスを望んでいる。永別は遠くはない。

「口を開けろ。まだいつもの半分も食べていない」

「……ボクが食べたら、カルナさんはお腹が空くじゃない」

「オレはまた狩りに行けばいいだけのことだ。下らないことを考えるな」

膝の上に乗った体躯はまだ軽いが、過日に比べれば重くなっている。

カルナが不甲斐ないせいで随分と時間はかかったが、もうじきジナコは分化を迎える。

雛のように育ててきた。いずれと思うことがなかったと言えば嘘になる。だがそれは、カルナひとりの欲だ。

食事のため、それだけに小さく開かれた唇に口づける。

ジナコは、カルナの巣から出て行くのだ。

saururuslilium

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