楽園追放その理由
2023年12月17 日(日)開催「from far side/near side DR2023」で発行予定の新刊サンプル(冒頭)です。
タイトルはシリアスですが、中身はいつものラブコメカルジナです。
寝て起きたらナさんの様子がなんかおかしいのですががががが、のジナがあたふたするお話。ナさんもあたふたする。
文庫サイズ100↑(予定)です!
わかった落ち着こう。まだ慌てる時間じゃない。
寝て起きたらサーヴァントになっていることに比べたら、目と鼻の先に最推しの寝顔があることは驚嘆に値しない。そう、最高の英雄をもってして「お前を勝たせるのは無理」と言わしめたジナコが神霊系SSRサーヴァントの依り代。召喚が成立した瞬間に石像は大破した。あの驚天動地を踏破したジナコは、最高最推しの男――カルナの寝顔が間近にあっても驚かない。
(そうそう、このくらい)
ジナコは目前のかんばせに静かに目を閉じた。瞼越しにも眩しいと感じるのは、今が朝に相当する時間だからだろう。その寝顔が眩しくて、というわけではない。
その構造上、居住空間に窓がないノウム・カルデアは太陽が昇る時刻になると自動で照明が灯る。ジナコはオフにしている機能だ。つまり証明されるは、ここはジナコの部屋ではないという事実。だがこれも驚く必要はない。
ジナコの部屋は散らかっている。殲滅型女神のお母様も淡々としつつも懇々とお説教をしてくるレベル。しかし、それで反省はしても明日からも本気を出さないのがジナコである。ベッドは漫画やゲーム、その他諸々が過積載されている。むしろそれが基本仕様。なので、彼女がカルナの部屋に転がり込むのは良くあった。というか、あちらがジナコを運び込んでいる。
曰く、その肉を過信するな。散らかったベッドで寝ればサーヴァントでも体を痛める的なことを言いたいのかもしれないが、肉という表現を選ぶところがさすがカルナさん。ディスコミュニケーションのグランドクラス。とにもかくにも、ジナコはこの部屋が誰のものかを知っている。
(ここはカルナさんの部屋。知らないところじゃないし、全然平気)
レイシフトで見知らぬ土地に一人で放り出されることを思えば、カルナのベッドで彼に抱えられていることも十分許容範囲内だ。
(裸だけど、戦ってれば服が破けるのはいつものことだし)
ジナコは耐久特化のサーヴァントだが、無傷で戦闘を終えることはまずなかった。竜種のブレスを浴びればあちこち焦げもする。戦闘後、痴女もかくやという姿になっていることは多い。
(ボクが肌けてどこに需要が? な格好をカルナさんに見つかるのも、抱っこされるのも今更っス)
そういう時のジナコは霊基の修復もままならないので、カルナから黄金の鎧の一部分、ピンクのモフモフを借りることになる。詳細は省くが、ジナコは新種のヌンノス属に分類された。
(そう、これは慌てることではないのです。カルナさんと寝てるのも、ここがカルナさんのベッドなのも、ボクが裸なのも、どうってことない……)
そこまで思考を整理し、彼女は瞼を開けた。カルナは目を閉じている。額に届く寝息は初めて感じるものだ。カルナはジナコより遅く眠るし早く起きる。喧騒は遠く、ベッドは体に馴染む温度をしている。このまま二度寝も悪くない。ジナコは眠りに身を委ねようとして――カッと目を見開いた。
「いいわけあるかーっ!」
何故なら裸だ。戦闘後ならばいざ知らず、ベッドで裸は由々しき事態である。
ジナコは昨日、自分の部屋で寝た。ただしくは寝オチた。期間限定イベントの終了期限が迫っていた。現実の素材回収とゲームの同時進行は無謀の一言だが、それをやり遂げてこその廃ゲーマー。
仮想の素材は現実には無意味だ。無駄になる前に止めておけと「無理をして体を壊しては元も子もありません」の意をキレッキレに伝えてきたランサーもいたが、その心配を素直に受け入れるジナコはいない。イベント終了一分前で達成感とともに意識は途切れている。
カルナは寝オチたジナコを部屋に運んだのだろう。彼女を要介護生命体だとこの世の真理のごとくのたまう男のことだ。ベッドに寝かせることも、ジナコの寝相を慮り一緒に横になることもわかる。だが裸の理由はどこにある。答えは白髪のランサーのみぞ知るだった。
「カルナさん、これどういうこと……ってぇ!?」
起き上がろうとしたジナコは、次には「ブフッ」と元の場所に逆戻りした。
「こ、拘束力が強い」
この腰にかかる重みはカルナの腕だ。唸るような声が頭の天辺に触れる。カルナは寝起きが悪かったのか。これだけジナコが騒いで起きないのだから、まったく人のことを言えない。
頬に感じる硬い感触に、ジナコは唇を尖らせた。見なくてもわかる。これはカルナの胸だ。トクトクと心音が聞こえる。ジナコは裸なのだ。隠すものなく肌が重なっている。だが慌てることはない。
「驚くことじゃないっスよ。カルナさんは元からこういう感じ――じゃなぁいっ! これは違う! さすがにわかる!!」
寝て起きてサーヴァントなど、この現実の前には生温い。頬をつけた胸にも腰を掴まえる腕にも、黄金の鎧がなかった。これはさすがのジナコも見逃さない。
「どうしてカルナさんまで裸なんスかっ!!」
ペチペチとジナコはカルナの頬を叩いた。平らかだった眉間に皺が寄る。眠い。まだ起きたくない。無言の主張が伝わってくる。だがジナコは起きてもらわねば困る。これはそういうコトではないと、最後の一言まで説明してもらわねば。
「ぅ、ジナコ……?」
小さな呻き声が唇から零れ、カルナが目を開けた。ただしその目つきは悪かった。無理やり起こされたカルナは凄まじく人相が悪かった。ジトリと据わった目がジナコを睨むように見てくる。悪役としか言いようのない顔だ。だがそれに臆するジナコではない。彼女には糺さねばならぬ慄然たる使命があった。
「ね、ねぇ。これ、ボクが脱いでカルナさんも脱げって騒いだとか、そういうことっスよね?」
それはそれでどうかという話だが、一夜の過ちを犯すよりは百倍マシだ。
「そうだ」
カルナが同意する。だがその声はくぐもり、目つきは悪いままだった。瞼が薄らとしか明いていない。嘘を吐かないカルナだが、これは寝惚けている。
(もしかして、疲れてる?)
カルナほどの戦士が疲労し、睡魔に身を浸す。ジナコが思いつく理由は二つだ。一つはジナコが恥を晒してカルナが施した。もう一つは――。
(だけど、そんなことが二度もあるわけない。カルナさんだってダメだってわかってるはず)
ジナコは枕に懐く頭に手を伸ばした。そうっと輪郭を隠す白髪を払い、あるはずの感触、黄金の耳輪を探す。
(ない)
幾度、指を通しても耳輪が見つからない。そも、カルナの耳輪は髪に隠れる大きさではない。ジナコの手のひらより大きいのだ。つまりこれは二つ目なのか。そういえば顔色も悪いような。でも、普段より血色が良いようにも見える。わからない。ジナコも肌は白い方だが、カルナのそれは雪の白さに近かった。
「綺麗ってことしかわからないっ!」
混乱するジナコを他所に、カルナは気持ちよさそうに目を閉じている。この男、これだけジナコが騒いでいるというのに起きようとする気概が微塵もない。スゥッと聞こえ始めた寝息に、彼女は頭を掻き毟りたくなった。
カルナが裸で寝ていて起きない。これはジナコの過ちか、それともインドラの奸計の再来か。もはやどちらが救いがあるのかわからない。カルナは求められれば拒まない「自分をもっと大切にして!?」という信条を持っている。
「カルナさん、起きてよ」
ジナコはカルナの胸に手をおくと、身を乗り出した。動いた拍子に布団がずれ落ち、かわりにジナコの髪がカルナにかかるが、形振りをかまうのは後だ。
「体が辛いとか、そういうのじゃないよね」
息を押し殺して見つめていると、白い睫毛の狭間から青が現れる。ぼんやりとしているそれに、ジナコはキッと眦をつり上げた。
「起きろーっ、起きてってばーっ!! 黄金の鎧は? 耳輪はどこやっちゃたの!?」
「待て、ジナ……ゲホッ」
カルナが激しく噎せ返る。苦痛も露わな姿にジナコは「鎧剥いだの!?」と血の気が引いたが、現実はなんてことはない。
ジナコは両手でカルナの胸を圧迫していた。宝具にもなるまろみが思いっきり圧し掛かる。それは息も止まろうものだった。
「ごめんて」
「凄まじい衝撃だった。霊核が壊れるかと思った」
「だからごめんて」
ジナコは布団を頭からかぶっていた。カルナはその隣で胡坐をかいている。黒い手足に黄金の鎧はない。飛びつく勢いで擦った背中も同じだった。臍から下はわからない。カルナは腰布を巻いていた。ジナコはホッと胸を撫で下ろしたのだが、だからといって状況が好転したわけではなかった。何故、ジナコはカルナと裸で寝ていたのか。この解がまったく示されていない。
(カルナさん、いつも通りだし)
彼はジナコが裸であることに驚く様子もなかった。一切隠すもののない姿で圧し掛かっていたことに気づいた彼女の「見るなー!」という理不尽な要求にも「わかった」と粛々と目を閉じることで応えた。至極冷静。カルナに動顛されたらジナコは恥も外聞もなく泣いていたので良かったと言えなくもないが、同等に腹立つのも事実である。
(だって裸っスよ? ボクはともかくカルナさんも! 黄金の鎧は剥いでなかったけど、それだけは良かったけど!)
カルナは黄金の鎧も耳輪も所持していると言った。だが励起する様子がない。何をしているのかと言えば布団からはみ出したジナコの髪に指を絡めている。手持無沙汰なのか。
カルナは暇を持て余す印象がない。何はなくとも引く手数多のサーヴァントであるし、この情感が圧倒的「無」の顔からは想像できないが、好奇心も強いのだ。休暇ともなれば興味を惹かれるままに自由行動。周囲曰く、あの男は放浪癖がある。どこにいてもカルナであるので目立つしすぐに見つかるのだが、こうしてボーっとしているのは珍しかった。
「カルナさん、もしかして目開けたまま寝てる?」
「その技に覚えはないな。さすがのお前にもあるまい。今日は休養日だと聞いている。いつまで獣神の擬態をしているつもりだ。起きてすぐに寝るのは得意だろう。もはやお前が暴れる理由はないはずだ」
「さすがは余計だし、暴れた覚えもないし、お休みはそうだけど、この擬態解いたらどうなると思って、――じゃなくて、どうしたんスか! カルナさんが二度寝を勧めるなんて!」
「お前は見た目以上に柔い。昨夜が昨夜だ」
寝ていた方がいいと、カルナが重ねて言う。昨日のジナコはゲームで寝オチ。気遣いをもらう理由はないはずだ。
「だ、大丈夫っスよ。そんなの、全然、いつものことだし、な、慣れてる」
動揺しかない反論の信憑性たるや、自分でも呆れるほどなかった。
「意地を張るのはお前の性癖とも言えるが、痛い目を見たいのか?」
「言い方ぁ! ボクはほんとに平気だもん!!」
力いっぱいジナコは布団を胸元にかき寄せる。グッと顎を引いて威嚇するように見上げるのは、カルナの視線に立ち向かう方法が他に見つからなかったためだった。
心許ない布一枚で胡坐をかいている男に比べれば、ジナコの方が圧倒的に防御力は高い。本音を言えば、早く服を着たいがその肝心の服が励起できない。
(落ち着け、落ち着くんスよ)
疑似とはいえジナコはサーヴァントだ。その装束は魔力でできている。損傷しても、魔力があれば万全の状態に回復できる。
ジナコはこの霊基修復が下手だった。修復を要するのは、戦闘時をおいて他にないからだ。逆説的に言えば、外的な要因――神霊の権能を凌駕する害意か、ジナコの意思がなければ傷つけることは不可能。裸にひん剥くなど以ての外。
(もう証明完了も同じ)
ボフリとジナコはベッドに突っ伏した。裸のままだが構うまい。カルナは気にしていないのだ。こうして遠慮なく剥き出しの肩も掴んでくる。
「うぅ、なんスかぁ」
「惰眠を貪るならば、うつ伏せはやめておけ」
「どんな格好で寝てもガネーシャさんの自由では?」
「痛い目を見るぞ」
「だから言い方」
「オレでもわかる。火を見るより明らかだ」
「そうですかー。ボクにその火は見えないっスね」
ジナコはモゾモゾとつむじまで布団に潜った。その布団を持ち上げてくるのがカルナという男だった。デリカシーもなければ、諦めるのコマンドもない。めくられるとジナコは裸なのだが、その点についてカルナはどう思っているのか。
(どうもこうもないっスね。ボクの裸とマナティーの寝姿に違いはあるのかぐらい言いそう)
カルナは楊貴妃と混浴しても何も起こらず出てくる男性サーヴァント予測第一位だった。誰だそんな予測をしたのは。ジナコは呆れたのだが、カルナは項羽と源為朝と同率一位を獲得していた。粛清・裁定機構と定義されるアルジュナ・オルタを抑えてカルナが一位。「私の方が可能性があるということでしょう」とは、バーサーカーの言。
ちなみに一位の理由は感情配分が極端だった。確かにカルナの関心は一にマスター、二にアルジュナだ。この優先順位が覆ることはないだろう。カルナの取捨は厳正だ。だがそれを彼らの他に興味がないとイコールというのは物申したい。
(わかり辛いってだけで良く見てるし、これで気遣いしいっスよ。デリカシーはないけど)
今もうつ伏せた視界の端に黒い影が見える。この黒は見覚えがある。カルナの手だ。ぼんやりと行方を見ていると、その爪先まで黒い手は頬から眦までを撫でていった。「痛むだろう」と、案じる言葉と表情が合っていない。唇が笑みの形になっている。
「痛むって、別に」
「火を見るようだと言った」
「はいはい、わかりました。これ言うこと聞くまで諦めないやつ。カルナさんが言うなら、そうなんだろうけど」
ジナコはカルナの指を追うように肌をなぞった。ピリッとした痛みが走る。この腫れぼったい感覚は覚えがある。そしてカルナは撫でるのが上手い。自分で触ったらひりつく感覚が取れなくなった。
(泣いたってこと)
昨夜、ジナコは目を泣き腫らすようなことがあったのか。それともさせたのか。
(泣きたい。でも泣いてどうにかなる問題じゃない)
記憶がないのは救いか否か。ジナコは自分がダメな人間だと知っていたが、昨日が今日に復讐し過ぎている。そしてカルナはいちいちわからせてこないで良い。
(人生やり直したい)
いつかとは違う方向性だが、過去に戻りたい。今ならこりごりな聖杯戦争にも再挑戦する。
時間を遡るアテはあった。だがアシュヴァッターマンは頷かないであろうし、ジナコも事情の説明ができない。そもそも、あれはインド異聞帯の特殊環境下だから成し得たことで、仮にできたとしても「偉大なる時間よ、爰に廻れ」を使えば彼も巻き添えで消滅することになる。支払いが大き過ぎる。
残るはリセット――霊基変換だが、霊基をくべる炉はマスターの承認が必要だ。システムにも厳重なロックがかけられている。ガネーシャ神は障害除去神なので、物理・非物理に関係なく障壁解除ができたりする。条件はジナコが邪魔と思うか否かという「神ってそういうとこある~」判定。だが実行者はジナコであるので、確実にバレる。後は火を見るより明らか。
(打つ手がない。これからどうしろと)
ジナコは両手で顔を覆った。我が身の錆が出過ぎて辛い。
「あまり擦るな。遮光器土偶になりたいのか」
「カルナさんは、わかったって意地でも言いたくないダメな説得してくるしぃ」
よりにもよって遮光器土偶。泣く子も意地で泣き叫ぶ。
「ボクがこうなってるの、誰のせいだと思って」
「オレのせいだな」
「そういうこと言わないでよ!」
「そういう話ではないのか? これはオレが悪い」
誰のせいもなくジナコのせいである。しかしカルナはそうは思わない。その意味たるや、カルナはジナコを追い詰めるのが上手すぎる。
「って、シレっと人のこと仰向けにするし!」
「隙以外がなかった。オレも驚いたぞ」
「うるせーっス! 人のこと布団で包み込んで転がすってどうなんスか!!」
ジナコは両手を振り上げて抗議した。布団の中が裸で誰得であろうが、気にする方が馬鹿らしくなってきた。
「冷やすべきは腹ではないからな。出すのはお前の自由だが、……普段から出しているしな」
「真剣に『しかたないか』みたいな顔するなし! 誰がお腹を出したいって言った! ガネーシャさんの恰好がアレなのは仕様っスよ!? ボクの趣味じゃなーい!!」
ジナコとて自分の恰好には思うところがある。だがどうして腹部に着目した。そこがもっとも目立つ部位だからか。体調を慮るにしても、デリカシーが息をしていない。
「そういうカルナさんはどーなんスか。自分の恰好思い出せー」
「オレも仕様だ。身を飾るよりも、黄金の鎧と槍を励起した方が有用だからな。下らぬことを問うより大人しくしていろ。その顔は見るに堪えない」
「ひゃっ、冷たいっスよ」
頬にほのかな冷たさがくっついた。
カルナの部屋には冷蔵庫がある。アイスとコーラも常備されている。保冷材もあった。カルナは小さなそれを手巾に包んで、ジナコの頬に押し当てていた。
熱が引いていく感覚は気持ちがいいが、いつの間に保冷剤を持ってきたのか。ジナコがジタバタしている間に以外にない。しかし、この至近距離で気づかないということがあるだろうか。
(あぁー、わかったっス。ジナコさん冴えてるぅ)
ただしこの推理はジナコの首を絞める。
今のカルナは黄金の鎧を励起していない。当然素足なので、歩いても金属の音はしない。ジナコは無意識的にカルナとの距離を鎧が擦れ合う音で判断していたのだろう。
(だからって気づかないのは、ボクが鈍いっていわれるオチしか見えないっス)
主にお前は野生では生きていけない的な意味で。ジナコに野生化の予定はないのだが。
ガネーシャ神は疑似サーヴァントなので、野良サーヴァントとして現界する確率も低い。依り代というフィルターを一枚かませる召喚はイチかバチだ。人理が召喚するならば、その土地で抜群の知名度を誇る英霊を召喚する方が理に適っている。インドであれば、カルナとかカルナとかカルナだ。
それにしても、カルナはいつまで腰布一枚でいるつもりなのだろうか。ジナコの世話の方が先だと思っているのか。「見られる顔になってきた」とジナコに手当てを施す前に、カルナは自分を大事にした方がいい。
「カルナさん、昨日のことなんだけど……」
「やめておけと言ったんだぞ、オレは」
苦味を帯びた口調にジナコは暗澹とした。カルナがやめろと制止したのは、つまり目が泣き腫れるようなことだろう。
「カルナさんが裸なの、やっぱりそういうコト」
「裸ではない。下は身に着けている」
「布一枚じゃん!」
「……? いつもだろう」
「いつも!?」
そんないつも、ジナコは知らないのだが。
唖然とするジナコにカルナもまた戸惑う顔をした。怜悧な印象が薄くなり、彼がジナコの父親は無理があると主張するのもわかるような……。明後日に意識を逃がすジナコに、カルナはわずかに眉宇を寄せた。
「これは、お前がそうしろと言った」
カルナが腰に巻いただけの布を引っ張る。そういう真似は心臓に悪い。肌けたらどうするのだ。
ジナコは咄嗟にカルナの手を掴んだ。布団は床まで吹っ飛んだが、優先すべきは別にある。ジナコの性的耐性は二次元が限界値だ。
「ボクが!? ボクが言ったの!?」
「そうだが。寝惚けているのか? でなくば、……いや、そうか。そういうことか」
「え、カルナさん、なに!?」
掴んだ腕を逆に引き寄せられ、ジナコは目を丸くした。
「動くなよ。お前を脅かさぬためだ」
「な、なんで圧し掛かって来るんスか!?」
「抗えぬことだが、このままというわけにはいくまい」
「何がどういうわけ!?」
カルナは会話の前後左右をぶつ切りにする。混乱するジナコを他所に、カルナは一もなかった距離をゼロにしてくる。阻むものなく重なる肌に、クラリと比喩でなく眩暈がした。ドクドクと胸を突き破らんばかりに脈打つのは、ジナコの心臓だろう。
「カ、カルナさん、ボクが悪かったから離れて、離してよ」
「離しては意味がない。今日は暴れる趣向なのか?」
「今日も何も、そんな趣向はないっスよっ!」
ジナコは掴まれた手を取り戻そうと力を込めたが、ビクともしなかった。観測上は同じ筋力Bだというのに、これが戦士とニートの差か。納得しかないが、このままでは過ちが二夜に増えてしまう。
「あぁ、お前はそうなのだろう。大概だな」
カルナが笑う気配がする。小さな変化であれ、距離が近ければわかることもある。いつもであれば「ボクの推しが今日も尊い」で胸がグッとする場面だが、今は現実で呼吸が止まる。
「カルナさん、このコトは忘れて」
「忘れる必要があるとは思えないが。今後を思えば覚えておいた方がいい」
「――はぁ!?」
覚えておくなど、淡々ととんでもないことを言い出してきた。
そも、ジナコには昨夜の記憶がない。だがその不実を告げる意気地はない。無体を強いたくせに忘れるなど最低だ。カルナは気にしないとしても……。
(ボク、ほんとになんてコトを)
寂しかったのだろうか。ジナコがカルナに抱く感情は万華鏡のようだ。見るたびに色が違う。好意一つとっても、英雄に対する憧れのような時もあれば、友人への親愛のような時もあり、胸が妬けるように生々しい時もあった。
(カルナさんは一人なのに、おかしな話だけど、どうにもできないし)
「ガネーシャ神」と声だけで顔を上げるように促されたが、今のジナコにカルナを見る気力はない。
「成したことを覚えていろと強いることはできないが、忘れて体を痛めるのはお前だ。耳輪は柔さとは無縁だ」
「耳輪」
思わぬ苦言が聞こえてきた。
呆然と繰り返したジナコの耳のすぐ傍で、カチリと硬質な音がする。一瞬の光とともに、カルナの体に黄金の鎧が戻る。裸とあまり変わらない。むしろ腰布を取ったせいで露出が増えている。いや、問題はそこではない。
「今度は何!?」
「やはり跡になったか。痛みはあるか?」
「な、ない」
ジナコは猛然と首を横に振った。剥き出しの背を指で辿られてもおかしな声が出なかったのは、なけなしの理性の勝利であった。肩越しに彼女の背を覗き込む男の耳には黄金が揺れている。それは先まではジナコが幾度、白い髪を梳っても見つからなかった煌めきだった。
(見つからないわけっスよ)
耳輪はジナコの背にあった。彼はそれを取るために、ジナコに圧し掛かった。今はジナコの体に耳輪の跡がついていないか確かめている。一事が万事、説明が足りていない。ジナコは「これだからカルナさんは」と溜息を吐こうとして失敗した。わかっていた。問題はカルナの一言どころでない足りなさではない。
「ボクの背中に跡があるってことはつまり……」
ジナコは裸で、カルナの耳輪を――。
見上げる面に非難の色は見えない。彼はジナコの行いを許しているのだろう。だがこれはない。一夜の過ちをカルナに強いるよりも酷い。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい! でもそういうことは口で言ってよ!! カルナさん、ボクが裸なのわかってる!?」
「わかっているし、言っている」
「いつ? いつ言ったっていうんスか!?」
心臓に悪いことを言われた記憶しかない。行動はもっと悪かった。
ジナコはバシバシとベッドを叩いて抗議した。カルナは小動もしなかった。それどころか、ますます距離を詰めてくる。傍から見れば押し倒しているようにしか見えないであろうし、実際に押し倒しにきている。
「オレを糾弾する前に、自分の姿を思い出せ。お前に野生は不可能だ」
「はぁん!? ボクは野生化なんてしないっスよ!」
「ならば身で示せ。できないとは言わせない」
言い含めるように告げると、額に柔いものが触れた。
「……へ?」
離れた感触を目で追ってジナコは息を飲んだ。視線は否が応にも緩く弧を描いた唇に向かう。
「む、足りなかったか」
「カカカ、カルナさん、なにして」
ジナコは両手で前髪を抑えつけた。パクパクと口を喘がせる彼女にもう一度、カルナが唇を寄せてくる。
「今更の問いだな。いつもしていることだろうに、今日はどうした」
あやすように背を撫でられ、苦笑を帯びた吐息が頬に耳朶にと触れていく。
どうもこうもない。そんないつもをジナコは知らない。カルナはどうしてしまったのだ。
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