ノーマンズランドで口づけを
2023年12月17 日(日)開催「from far side/near side DR2023」発行の本の再録です。
カルジナの、この夏のビッグウェーブ、すごいですね…!
離婚理由の第一位は「価値観の違い」であるという。
終生を誓った相手にも、譲れぬことは生まれるのだ。我慢を続ければ、愛しいよりも「無理」の気持ちが大きくなる日も来よう。顔を見たくもないの領域に到達してしまうこともあるかもしれない。それをイヤだと思うなら、すべきは交渉。見つけるべきは妥協点である。
ジナコは自分に甘い女だが、相手を尊重する気持ちはある。たとえば、彼女はカルナの喜ぶ顔が見たい。表立って口にしたことはないが、彼がしたいと思うことであれば、十回に一回は頷いてもいいと思っている。
この目標値の低さは、自分の性状を厳正に鑑みた結果である。見栄を張っても碌なことにはならない。良好な人間関係を保つ秘訣は「無理をしない」にあるともいう。
「……カルナさん、無理してそう」
それを苦と思っているかは別として、感じるところはあるのではなかろうか?
彼女はそれとなく水を向けてきたのだが、現在の戦績は全戦全敗である。そもそもとして、カルナが交渉のテーブルにつかない。交渉は決裂以前。いつでも二人で決めることは「お前の好きにするといい」か「不要だ」の二つで終わる。ちなみに「不要」は「私に気を使う必要はありません」の意味なので、ジナコの好きにして欲しい以外の結論がないともいう。
「カルナさんに『譲る』以外のコマンドがない。こういう高難易度ってあるんスね……」
さすがは施しの英雄と言われる男。相手を優先することに躊躇いがない。考えることはあっても「それもあり」に落ち着く。彼が本質的に譲れないのは、アルジュナに関することだけなのだろう。
「だけど、何もないってワケでもない、はず。微妙に眉間に皺寄ってることあるし」
心当たりはあるのだ。たとえば本日の特別ランチが残り一個になった時、彼はそれを後ろに譲るのだが、しょんぼりしていないかと言えば、そんなことはないのである。
「食べたいなら食べれば良かろう!」とは我がまま王子の言だが、その最後の一つを所望していったのが誰かと言えば、ジナコは百王子の長兄の鼻っ柱にムシカを突撃させずにはいられない。もちろん、実際にはやらないしできないが。
彼女がしたことといえば、無言でカルナのプレートに半分にしたゆで卵を一つ多く乗せることだけである。カレーと卵は美味しい関係だ。ジナコのすることに、ランサーは「無用だ」とは言わなかった。わし様も自分も欲しいとは終ぞ言わなかった。ああいうところが、あのバーサーカーが人誑したる所以に違いない。憎たらしいが、嫌いになるにはあと一歩が絶妙に足りない。オマケの采配は食堂のお手伝いサーヴァントの特権なので、欲しいと言われればできたのだが。
ジナコがキッチンに入る理由はパールヴァティーの微笑みが九割だが、残りの一割はこのオマケの采配にあるとも言えた。ささやかだが、自分を後回しにする男の贔屓が公然とできる。やはりあの王子は人誑しだ。
「でも、カルナさんを贔屓して嬉しいのはボクなんスよねぇ」
ジナコはベッドの中で唸った。今日はまだ一度も外に出ていないが、部屋にお小言を言うランサーはいないので、思う存分だらけられる。だが依り代の相談にも乗ってくれる騎獣もいない。今日はモフモフ会合の日なので。八犬士と四不相とムシカたちが一堂に会する。今ごろマスターはあらゆるモフをモフっていることだろう。癒しは大事。「英気を養っておきたまえよ」とは、明後日の方向を見たままの所長からのお達し。
遠い目の理由は、迫りくるXマスデーにある。カルデアのクリスマスについてはサンタがサンバでルーラーだったり、サンタがボクサーでセイバーなので後は知れよう。今年も混沌がやって来る。
そう、クリスマスだ。カルナは朝からロードワークに余念がない。ぐうたらベッドに埋もれるジナコを毛布でヌクヌクにすると、それは軽いフットワークで部屋を出て行った。ジトジトとしているジナコとは正反対である。カルナはクリスマスが終わるまで、セイバーで過ごすのだろう。部屋ではランサーに換装しているが、サンタの手はいくつあっても足りないのだ。つまり、ジナコの十二月には空白が多い。イブも聖夜も予定は驚きの白さだった。
「今年も部屋でダラダラして終わりそう」
それが寂しいかと言えば、そうとも言いきれないのが難しい。部屋を一歩出れば賑やかなことには事欠かないし、共に過ごす時間を持てる友人たちもいる。カルナも日一度は顔を見せる。イブ以降は、ジナコに付き合って部屋にいることも増える。というか、マスターの要請がない限り外に出なくなる。――これは良くないことだ。
「ボクは引きこもりサーヴァントだけど、カルナさんは違うんスよ。ボクが断ってばっかりいたから、諦めちゃっただけで」
ジナコは枕に顔を思いっきり埋めた。胸を占めるのは後悔だろうか? ジナコはカルナの許容に甘え過ぎた。でも、一度で懲り懲りになったのだ。だがジナコの事情にカルナを付き合わせていいのかと言えば、それは否であろう。
「クリスマスなら、一回くらいあってもいい。一緒にお出かけしてもいい。……イヤだけど、カルナさんがしたいならしても良い」
カルナは不要と言うだろう。しかし、それではジナコが困るのだ。ジナコはカルナと離婚したくない。いや、彼とジナコは結婚してはいないのだが、嫌われたくないという気持ちは誰よりも強いのだ。
カルナに見放されたら、ジナコは疑似サーヴァントとして現界を保てる自信がない。イロモノサーヴァントに限界までリソースを使ってくれたマスターにはごめんなさいのしようもないが、ジナコのメンタルの耐久性能など試すまでもないのだ。驚くほど簡単に挫ける。
あの大英雄が他者を厭うことがあるのかは別として、思うところを飲み込ませるのは良くないことだ。今回こそ、カルナに無条件譲歩をさせず、交渉の余地を持たせるのだ。
「ボクだって、カルナさんの好きにして欲しいって気持ちはあるし、それは嘘じゃないし、楽しそうにしてるところも見たい」
この気持ちが伝わっていないとは思わない。だが、カルナが譲る理由もわかっていた。彼には『貧者の見識』がある。嘘を見抜く目の前には、ジナコの本心など丸裸も同然だ。カルナと出かけることは、好きか嫌いかで言えば、後者になる。
「……だって、カルナさんだし」
ジナコはどうしたって、聖人にはなれないのだ。
大切な者とは、同じモノを見たくなるのだろう。あるいは、見て欲しいと望むのか。
カルナは彼女に、自分が見つけた良いものを見せたいと思った。お世辞にも、情緒を解するとは言えない男が見つけるものだ。武骨であったり、無粋であったりすることが大半だろう。巨大な魔獣を仕留めても、その獲物でガネーシャは喜ばない。
『ドヤる前にまず血を拭う! ……うへぇ、これ全部返り血っスよね? 待って。今、微妙に目を逸らしたのはどういう意味』
『目聡いな』
『なに嬉しそうな顔してんスか! ボクは怒ってるんスよ!?』
戦場において、傷は必定だ。不名誉にはならない。あくまでも、カルナの倫理観では。
彼女はカルナが国を獲っても喜ばない。その代価に負った傷に顔を歪めて泣くのだろう。カルナが見せたいものは、その感性には合わないのだ。
美しい花々や雄大な情景のような、不変的なものであれば違うのかもしれない。一度は頷いてくれたのだ。だが、二度目からは渋るようになった。誘うたびに告げられる「イヤ」の言葉に嘘はなかった。
何が悪かったのか。不興を得たのか。カルナは己の無能さに少なからず落ち込んだが、彼女に嫌われているわけではないのだと気づいてからは、見たいモノの見方を変えることにした。そして気づいたのだ。カルナには、こちらの方がずっと性に合っている。だがその充足は、彼女にはまったく伝わっていなかったらしい。
「――だからほら、もうすぐクリスマスだし? サンタさんで頑張ってるカルナさんのお願い、ガネーシャさんが聞いてあげてもいいかなって」
「不要だ」
「おおう、なんて予想通りな反応! 絶対そう言うと思ったけど、ちょっとくらい考えてよ」
「考えろと言われてもな」
カルナを連れて出かけても良いなど、どういう心境の変化だろうか? 誰か入れ知恵をする者が来たのか。部屋の様子は朝に出た時と変わらない。今日も彼女は引きこもって過ごしていたらしい。元より出不精な女だが、冬はそれが顕著だった。カルナは「ここ」と、自らの前に居場所を指示した相手との間を詰めた。
「どこか、行きたいところができたのか?」
「そういうことじゃなくて、カルナさんが出かけたいなら、そうしても良いって話。ボクの話、ちゃんと聞いてた?」
溜息を吐く面から読み取れることは少ない。ガネーシャは本心を儘に言葉にする女ではなく、カルナは人の機微に鈍かった。もっと言葉の上手い人間であればと思うが、最後まで言いたいことを口にすることを覚えても、その唇から言葉を得るにはカルナは未熟で、足りないことばかりだった。
継ぐ言葉を持てずに閉じた唇を見つめていると、今度は諦めにも似た笑みが返って来た。寂しいとも表せるそれに、カルナは咄嗟に「聞いていた」と頷いていた。
「お前はオレと出かけてもいい。そういうことだな」
「そういうこと! 先約があるって言うなら、それはそれでいいけど」
「誰とも約言は交わしていない。サンタの後は、お前につくと決めている」
マスターには以前から話してある。ドゥリーヨダナには「お前も言うようになったではないか!」と背を叩かれた。
「そ、そうなんだ。それならさ、今回はボクがカルナさんに付き合うっスよ? 行きたいとことか、どこでもってわけにはいかないかもだけど」
おどける女に、カルナは首を傾げた。不思議だったのだ。
「お前はオレと出かけたくなどないだろう。したくもないことをして、何の意味がある」
思うままを言葉にして、しまったと思った。貧者の見識で気づいた嘘を口にするのは、カルナの数ある悪癖の中でも屈指のものだった。
(オレは、馬鹿だ)
わななく唇にカルナは暗澹とした。ガネーシャがしたくもないことをしてもいいと言ったのは、カルナのことを思ってだ。だというのに、愚かな男はその心を躙った。
彼女はカルナと出かけたくない。それが真実でも、もう少し言い方があった。嘘を明かすにも、機というものがある。カルナもそれは理解している。その程度の頭はあるのだ。これがマスターや他の人間であれば、慮ることもできたかもしれない。
彼女に気づいたままを口にするのは、カルナの甘えだ。猟犬が見つけた獲物を主人に吠えて知らせることにも似ている。良く気づいたと褒められたい。嘘を暴かれて喜ぶ人間などいないというのに。いかに彼女がカルナに甘くとも、「こんな男はいらない」と見限られて当然の愚昧さだ。
「見下げた性根だ」
カルナは部屋を追い出されるだろう。開かないドアの前で番犬のように立っている姿が目に浮かぶ。
「もぉおおっ、言って後悔するなら最初から言わない! 言っちゃったなら、黙らないでちゃんと最後まで言う! なんでボクがひどいことしたみたいな気持ちにならなきゃいけなんスか! 理不尽っス!!」
ペシリと額を叩かれ、カルナは目を瞬いた。
「ガネーシャ神?」
「むきーっ、そんな今にも捨てられそうな犬みたいな顔しないでよ! カルナさんと出かけてもいいなんて、嘘吐いたのが悪かったっスよ! カルナさんもデリカシーないけど。本当にないけど! ……はぁ~、ボクはカルナさんに嫌われたくなかっただけなのに、なんでこうなる」
「お前は何を言っている」
カルナが■■■を嫌う? そんな世界がどこにあるというのか。懲りもせず思ったままを口にすると、今度は両手で頬を挟まれた。カルナを見る顔は険しく、だが頬には艶やかな朱が差していた。
「だってカルナさん、お出かけするの好きでしょ。ボクと違って、放浪癖がある。なのに、いつもボクに付き合って引きこもってたらつまらないかなって。ほら、ボクがイヤだって言うから、カルナさん、出かけようって話もしなくなっちゃったし! 外に出ろとか、動けとかは言うけどさ。……いつもカルナさんが我慢して、ボクだけが優先されてたら、そのうち嫌われちゃうかも? なーんて思ったり、しまして……」
徐々に小声になる女に、カルナはいよいよ首を傾けた。
「随分と愉快なことを考えるな」
彼女がカルナに悪いと思っているなど、考えもしなかった。嫌われる可能性を危惧するなど、まさしく青天の霹靂だ。
「愉快って何よ」
「オレがお前を嫌うなど、誰に問うても一笑に付される。そういうことだ。逆ならばわかるが」
「そっちこそ逆って、なに寝惚けたこと言ってんスか。逆の方が笑われるっスよ?」
一切の嘘のない言葉に、カルナは口を引き結んだ。「顔が怖い」と軽く笑ってくれる女に、意趣返しをしたい気持ちも湧いてくる。
ガネーシャはカルナと出かけることを好まない。理由を明かされたことはなく「イヤ」と、その一言がすべてだった。もしかしたら、それは「何故」と問うべきことであったのかもしれない。だがカルナは、彼女の拒絶を不満に思ったことはないのだ。むしろ、僥倖と思っていた。
「ガネーシャ神。オレはお前に無理を強いてまで、出かけたいとは思わない」
そこまで口にし、カルナは言いたいことを言い忘れたことに気がついた。彼女の「イヤ」の理由を問うことと、自分の「出かけなくてもいい」の理由を伝えることだ。
ガネーシャには考えていることの十分の一も言葉にできていないと言われてきたが、ここでその力を発揮しなくてもいいだろう。カルナが逡巡する間に、ココアブラウンの下でキリキリと眉がつり上がった。
「無理強いって、もう! そりゃあ、ボクはカルナさんと出かけたくないっスよ。だってカルナさんだもん!」
「落ち着け、あまり暴れるものではない。色々と捥げかねん」
まずカルナは、彼女に頬を掴まれたままなのだ。髪も耳輪も一緒くたであるので、顔は否が応にも近づくことになる。それは、口づけができる距離とも言えた。肌を撫でる吐息に苦悶するカルナを他所に、ガネーシャは涙を滲ませた瞳で睨んでくるのだからお手上げだった。身動き一つ取れない。
「このっ、誰のせいで暴れることになったと思って! ちょっとくらい捥げたってどーってことないっスよ。だってカルナさんだもん! この美形! 美男子サーヴァント!! どうしたら一緒に出かけたいって思えるって言うんスかーっ! 閻魔亭でもハワトリアでも、それ以外でも、みーんなカルナさん見てるんスよ? このスケコマシ! トーヘンボク! ヤキモチ妬いて寂しくなるだけなら、引きこもってた方が良いに決まってるじゃない! カルナさんにポワーってする人見なくていいし、ボクだけかまってもらえるし!」
「――そう、なのか。オレが武骨で無粋で情緒も碌に解さず、良いと思えば魔獣の骸も運んできて歓心を求めるエスコートもまともにできない男だから、という訳ではないのか」
「違いますけど!? カルナさんと出かけたくないのは、ボクがモヤモヤしてジェラシーで、面白くないからっスよ! って、カルナさん、そんな根暗なこと考えてたの?」
「考えていた」
カルナは面白味のない男である。連れて歩いても楽しいと感じることは少ないだろう。同じ景色を見ても、カルナが得る喜びと、彼女に与えることができるモノは同じにはならない。
価値観が違う。見てきたものが違う。これからを生きていく女に、死者の影法師が同じモノを見てくれと望むことこそ傲慢だ。そう納得してきた。それが、――ヤキモチ。モヤモヤするから出かけたくない。それはつまり。カルナはハタリと目を瞬いた。呼気の重なる場所に、困ったように笑う女がいる。
「暗い顔して何考えてるのかはわからないけど、……カルナさんは、賑やかなところが好きだったりする?」
「どうだろうな。その好き嫌いは、あまり考えたことがない」
そして暗い顔、というのも正確ではない。表情が感情に追いついていないだけだ。
「そうなんだ。出かけようって言うの、いつもそういうところだったのに?」
「無人の荒野を見ても、寂しい思いをするだけだ。あれは、望んで味わうものではないよ」
彼女と歩くならば、荒野よりも人の営みの方が好ましい。そう思うことは、可笑しなことではないはずだ。
カルナは頬を温める手をまざまざと思う。この手は、ここでなければ得られないものだ。
「お前はオレに放浪癖があると言ったが、オレはこうしている方が良い。お前の部屋で、同じものを見て、無為に時間を過ごしている方が良い」
「無為って言わない」
「何もないことが良いんだ」
本当に、無理に出かける必要などない。同じくその瞳で見て欲しいと望むモノはあっても、ここに来ればカルナは■■■を独り占めにできるのだ。
「ここならば、お前を見初める不埒者も一人だ」
「……その不埒者って、一応聞いとくけど誰?」
カルナは無言で自分を指さした。だと思った! と大仰に喚く女は、カルナの真情をどうするだろうか?
手を離された頬を戯れでも寒いと言ったならば――彼女は、血も涙も作りものの男に体温を重ねるのだ。そういう、甘く甘い善性があった。
「オレはキミを得難く思っている。大切、なんだ」
「そういう大切なこと、この散らかり放題の部屋で言う?」
「言ってしまったな」
「ロマンがない」
「あぁ、本当に。返す言葉もない」
カルナは彼女がこの心を知ってくれるなら、それはどこでも良かった。日常の部屋でも、非日常の街中でも、神々の花園でも、荒漠の原野でも良かった。
告げた心の答えを待つ男を女が見る。その瞳に許しを望むのは、カルナの隠し難い欲で、本心だった。
「たとえば、だけど。ボクが誰もいなくて寂しいところに出かけたいって言ったら、カルナさんは付き合ってくれる?」
「お前を連れて行くのが、オレで良いならば」
「カルナさんじゃなきゃ意味ないっスよ。ふふん、いいじゃない。誰もいなくて寂しいところ! カルナさんはキャーキャー言われないから、ボクはヤキモチ妬かなくていいし、カルナさんはボクに根暗で無用な心配しなくていいし、……独り占めにしたいこと言うなら、アタシたちには、そういう場所がお似合いかもよ?」
「誰も来ない場所なら、知っている。いくつでも連れて行ける」
それこそ、生前から馴染み深い。シミュレーターでの再現率にも自信があった。この世界に独りぼっちのような、そういう気分がこれでもかと味わえる。
「ふーん。カルナさんがいて、ボクがいるのに寂しくなるの?」
「……寂しくはないな」
彼女が隣にいて、寂しいわけがなかった。それは彼女も、カルナを見つめて微笑む人も同じなのだろうか?
カルナは記憶の情景を思い出す。その落日を、変えられぬ天涯を、覆らぬ孤独を――。
滲みかけた視界を一度、瞬くことで澄ませる。指先に甘えるように、ただ一人の温度が重なっていた。
「寂しくはない。寂しくはないよ、――ジナコ」
そこが久遠に寂しい場所でも、その唇に口づけたなら。
死者である男の記憶には、生者の女の温もりが宿るのだ。
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