最高の一花
2021年9月から2022年10月までのWEB再録集「PickOut50」収録のカルジナです。
カルナにしか出来ないこと、というのは少ない。ないと言っても間違いではないだろう。
彼は使命を持って生まれた人間ではなかった。課せられた義務もなかった。カルナの人生は不遇だったが、不自由ではなかった。誰もが、宿敵すら定めの舞台にいる。その中で、カルナだけは好き勝手にしていたとも言える。カルナは御者の息子として生きることもできた。クシャトリヤとして戦場に立つ道も選べた。国を出ようとも咎める者はいなかっただろう。彼にしか出来ないこと――カルナがいなければならないことなどなかったのだから。
カルナは特別ではない人間だ。カルナに出来ることは他の人間にも出来る。カルナより、はるかに上手いかもしれない。きっと、そういうことの方が多い。だがそうだとわかっていても、カルナだけでありたい。そう求めることはある。
明るい光に満ちた温室。鉄筋とガラスで外界と区切られた空間は、絵に描いたような箱庭だった。静謐であり、俗世を忘れる非日常がある。温室は、元は環境シミュレーターの調整装置であったという。
環境の構築には気候、風土、動植物相、膨大な数のデータが必要とされる。カルナには見当もつかない技術だが、カルデアの人間は環境の再構築に心血を注いだ。複雑な自然環境を完全に再現することはできない。あくまでも仮想。だが限りなく現実に近づけたい。何が必要で何が不要か。試行したのがこの温室だった。
環境シミュレーターに使用するデータ選別はすでに終わり、シミュレーター自体も軌道に乗っている。温室は役割を終え、今はどこの世界ともしれない空間に固定されていた。
足元で揺れるのは高山に咲くという蘭。頭上には雨林に育つという羊歯。花なのか木なのか見当もつかない奇妙な形状の植物もあれば、バラやユリといったカルナでも見分けられる植物もあった。温室には世界中の植物が集っている。
カルナはその一つ一つを見分している。花弁が開いているものがあれば手に取り、しばし黙考した。
その背を一騎のサーヴァントが見ていた。陽光に長い髪を揺らすのは、神霊の疑似サーヴァントだった。
「ねぇ」
つかず離れずの距離で歩く彼女は、カルナに今日何度目かの言葉をかけた。
「カルナさん、そんな真面目に考えなくてもいいんスよ? 軽ーい気持ちでやってくれて大丈夫だから」
「……ガネーシャ神、軽く、というのは無理がある。これほどの難題は覚えがない」
「またまた大げさな。そんなに悩むこと?」
ガネーシャ神が不思議そうに首を傾げる。彼女には容易いことだと思えたのだろうか? ならば、それは見込みが甘いというものだった。
カルナはガネーシャ神から、一つの役目を言いつかっている。生前を顧みても経験のない役目だった。成すのは至難だ。分を越えている。カルナはそれを自覚していた。今日、ガネーシャ神に会った時から気づいていた。彼女のことを考えれば、断るべきだった。
だが、ガネーシャ神はカルナに言いつけた。それが暇な男に声をかけたに過ぎないのだとしても、カルナは僥倖と思った。口は一二もなく「任された」と了承を伝えていた。
身の程を知れ。カルナは役目を果たせない。今も右往左往するばかりで、彼女に無為を過ごさせている。
ガネーシャ神はカルナを見上げると、その困惑を教えるように眉を下げた。
「本当にどれでも良いんスよ? 頼んじゃったボクが言うのもアレだけど、良いとか悪いとか、そういうのも考えなくて大丈夫! だってボクだし!!」
おどけた口調でガネーシャ神が寛容を示す。カルナは顔を険しくした。どれでも良いというのは虚言だった。これ以上の猶予はない、ということだろうか?
(そうだ。ガネーシャ神にはこの後があるはずだ)
胸が澱んだのは、その「後」を享受する者はカルナではないと気づいたからだ。カルナの役目はそれではない。
「うぐっ、顔怖くなってるし。困らせるつもりはなかったんスよ。カルナさん、無理なら無理って言ってくれいいから! 他にアテも……」
「あるのか」
「ないっスよぉ! こんなこと、カルナさん以外に頼めるわけないじゃない! こういうのはボクのキャラじゃないんだからね!!」
飛び跳ねる勢いで、ガネーシャ神がカルナに一歩近づく。その拍子に、キラキラと金鈴を思わせる音が耳に届いた。
彼女の衣装は神霊に相応しく装飾が多いが、楽を奏でるものはなかった。今は違う。ガネーシャ神はいつもと姿を異なえている。カルナはグッと頤を引いた。
「急いだ方が良いか?」
「……はえ?」
「早く完成させたいのだろう」
「それはまぁ、そうだけど。早くしてって気持ちはある」
ガネーシャ神がカルナを見る。その頭に象の被り物はない。体を隠す色彩も違う。
ガネーシャ神はサリーを身につけていた。衣を仕立てることを存在意義とするサーヴァントの手によるものだった。艶やかな紅い布地に、金糸で幾何学文様が縫い取られている。裾には金の丸い板が連なっている。どういう意味があるのかはわからない。金の板は彼女が歩くたびに重なり合い、涼やかに鳴る。
『ボクが頼んだんじゃないっス! あっちからオファーがあったんスよ。お断りしたんだけど、その、いつの間にか押し切られて。……お嫁さん力なんて、ボクにはないに決まってるのに』
お嫁さん力なるものの仔細をカルナは知らない。だが実感はした。彼女のそれは、カルナは行動不能にする。今も惚けていた。
「カルナさん?」
小さく名を呼ばれ、カルナは内心で「仕方がないだろう」と彼女と己に言い訳をする。
カルナに人の美醜はわからない。彼は肌や肉、骨格の差異に人の価値を見つけない。それは、美しさを感じる心がないことと同義ではなかった。カルナも陶然とすることはある。
カルナの前には、ガネーシャ神がいる。見たことのない華やかな姿だ。それをカルナは目の当たりにしている。目を奪われる。カルナは本当に、彼女を見ること以外を忘れてしまう。
だが信じ難いことに、これでもなおガネーシャ神の衣は未完成であると言う。カルナはその仕上げを言いつけられた。
(ガネーシャ神は、オレ以外に頼めないと言った)
その信頼に応えなければ。
彼女に頼られることは嬉しい。それは本心だが、同時に苦々しいとも思う。これはまさしく敵に塩を送る行いだ。この場合は花だろうか?
(このまま有耶無耶にすることは出来ないだろうか)
打算でなく、カルナには足りないものがわからないのだ。無論、衣の仕立て人と彼女の言うところは理解できたが……。
「あ~もうっ! どうしてそんなに悩むんスかぁ。どんなのでもいいっスよ。カルナさんが良いって思ったなら、ボクは文句はつけないっス!」
カルナの腕に触れ、ガネーシャ神が笑う。その頭に神霊の被り物はない。陽光を揺らす髪は、背に流されるままだ。可憐な衣装に比して無垢だった。衣の仕立て人は髪飾りを作らなかった。
『そのー、ハベにゃんさんが言うには、花冠を贈ってもらって完成らしいっス』
『花冠?』
『冠じゃなくてもいいらしいけど、とにかく花! どんな花でもいいから贈ってもらえって。ここまで用意されちゃったし、もう最後までコンプリするしかないっていうか! 何でって思うかもしれないけど、カルナさんにお願いしていい?』
彼女の髪を飾る花を贈る。それが、カルナが言いつけられたことだった。
カルナは彼女を温室に連れて来た。ここならば、と思ったのだ。温室には数多の花がある。千を試せば一つはと思った。
「気楽にはできない」
「なんでそう身構える」
「お前だからだ」
上手くやりたい。次も声をかけても良いと思える成果を出したい。だが良く出来たら彼女は去っていく。
それに何よりも――カルナは陽光を纏う姿を瞳に映す。眩暈がするようだ。彼女の言いつけは、百年修行しても出来る自信がない。
「己の未熟と無才を思い知らされる。どの花もお前に相応しいとは思えない」
「そりゃそうでしょ。何回も言うけど、ボクだし」
「そうだな。お前でなければ……」
カルナは温室に視線を移した。可憐なもの、豪奢なもの、清楚なもの。温室には数多の花がある。世界中の花が集っている。
カルナでなければ見つけるのだろう。彼女に添う一花。彼女を輝かせる冠。カルナにしか出来ないことは少なく、カルナに出来ないことは多い。
ガネーシャ神の背には牡丹がある。百花の王と言われる花だ。純白の花弁が幾重にも零れるように咲いている。この花は彼女に相応しいのか。白い花と彼女を見合わせる。カルナにはそうは思えない。
「いいっスよ、カルナさん」
「……ガネーシャ神?」
「花冠はなし! 花が可哀想だもんね。仮初でも咲いたんだし、贈られる相手はボクだし?」
「あぁ、まったくだ」
「秒で肯定されると、それはそれで腹が立つっスね」
据わった目で睨み上げられる。ふてぶてしい顔だった。だが、その語尾は震えていた。
ハタリとカルナは目を瞬いた。彼女でなければ。その意味が互いの間ですれ違ったのだと気づく。
「可笑しなこと頼んでごめんなさいっス。このお詫びはそのうちに、期待しないで待ってて」
戯ける笑みに、カルナは折ろうとした一花から手を離した。
「触れても良いか?」
「……え?」
「お前に触れる許しが欲しい」
「う、うん、いいけど」
ぎこちなくガネーシャ神が頷く。
「ひゃっ、カルナさん? くすぐったいっスよぉ」
「触れて良いと許したのはお前だ」
黒い指を温かい色の髪に添える。
花には到底変われない武骨な指だ。それでもふと、これで良いと思った。カルナはこうしたかったのだ。
榛の瞳を感じながら、細く途切れやすい髪を一房、指に絡める。
カルナは今日、生涯に見たよりも多くの花を見た。彼女が求めるなら、千の花すべてを手折ってもいい。だけれど、千を集えた花冠も無意味だろう。
「花が哀れだ。どんな花も、キミの前では色を失くす」
この喉から出たとは信じられないほど、甘い声だった。火がついたように顔が熱い。だけれど、言いたかった。今日、彼女を見た時から思っていた。
「綺麗だよ、ジナコ。とても綺麗だ」
「そっか、ふひひ。……そっかぁ」
榛の瞳が笑みに細まる。薄紅の唇が柔らかく綻ぶ。白い頬が眦まで艶やかに色づく。
カルナだけが知らない。彼女を彩る一花。それは、彼だけが贈ることが出来る。
「言っただろ? 最高の花嫁衣装を作るって!」
花嫁の味方は、二人に笑ったという。
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