傷痕も塞がる
2021年9月から2022年10月までのWEB再録集「PickOut50」収録のカルジナです。
カルナに「驚かないのか」と聞かれた。脈絡のない問いに、ガネーシャ神は「はぁ!?」と声を大きくした。視線の集まる気配がしたが、今は二の次だ。
「なに当たり前のこと聞いてんスか。ビックリしたに決まってる」
ガネーシャ神の小心を見縊ってはいけない。まさかと思うが、カルナには彼女が平静に見えたのだろうか? だとするならば、今すぐに医務室に行った方が良い。睨みつけた彼女に、カルナは視線を下げた。
「そうだな。驚くのは当然だ。……すまなかった。馬鹿なことを聞いた」
「ほんとっスよ。なんで驚かないって思うんだか」
悄然とした姿に途端に胸がムズついたが、早々に絆されるわけにはいかない。カルナには反省してもらわねば。ガネーシャ神はキュッとカルナの手――正確には、人差し指を握る力を強くした。
「カルナさん的には恥ずかしかったのかもしれないけど、指切ったくらい隠すことないでしょ」
「隠していたわけではない」
「手当もしないでいたのに?」
「それはオレの未熟だ。魔力は十分に供給されているにも関わらず、見苦しいものをお前に見せた」
ガネーシャ神は見苦しいとは言っていない。驚きはしたが、それは心配の意味だ。だが、カルナはそうは思わないらしい。
「カルナさんはボクの血、何色だって思ってんスか」
怪我をした相手を見苦しいと感じるような、冷血な女だと思っているのか。
「お前を冷血と思ったことはない。だが、驚かない可能性も考えていた」
「驚いたら悪い? そりゃ、ちょっと慌て過ぎたとは思うけど、それはカルナさんが悪いんだからね!」
カルナは指を切った。得物は包丁で、彼女はカルナと並んで食堂の仕込みをしていた。本日は母の日なので、パールヴァティーの代役である。カルナと二人で一役になるかも微妙だが、パールヴァティーは「あのガネーシャが……っ」と瞳を潤ませて喜んでくれたので、彼女はチマチマと不慣れと丸わかりな手つきで野菜の皮を剥いていた。ピーラー素晴らしい。この調理器具を考えた人は天才だ。
ガネーシャ神が剥いたジャガイモやニンジンを切るのがカルナで、トントンと規則正しい音は彼女よりも格段に習熟していることを教えてきた。それが唐突に途絶えた。
どうしたのだろう。隣を窺ったガネーシャ神は唖然とした。
「血がドバーッて出てるのに、カルナさん全っ然動かないんだもん。ビックリするのは当然っス!」
「そうだな、オレが悪い。早く修復するべきだった」
カルナが頷く。その顔色は悪い。傷は彼女が見たところ浅いし、出血量もさほど多くはなかったのだが。
「えぇっと、誰にでも失敗はあるっスよ? そんなに気にしなくても良くない?」
カルナは武人だ。料理であれ、手傷を負うのは未熟と思うのかもしれない。その辺りの機微はガネーシャ神にはわからない。彼女は平凡な感性のままカルナの手を引っ掴み傷口を流水で思いっきり洗い、今は止血をしている。
冷静になれば、カルナはサーヴァントだ。魔力があれば傷は自己修復される。つまり彼女がしたことはまったくの無駄であったのだが、しかし放っておけるかといえばそれは至難だった。平気なのだと頭が理解していても、心が許さないことはある。
「気にするなというのは無理だ。これはオレの甘えだ。今後、同じ真似はしないと約束する」
「その約束はなしで」
間髪なくノーを突きつける。怪我はしないに越したことはないが、隠される方が問題だ。カルナには前科があり過ぎる。
「だが」
「要らないものは要らないっスよ。――ん、大丈夫そうっスね」
ガネーシャ神は止血の手を緩めた。傷口に当てていたキッチンペーパーを見るに、血は止まったようだ。後はこの際だ。絆創膏を貼ってしまうのも良いだろう。
(カルナさんは「不要だ」って言うと思うけど)
カルデアの資源は有限だ。魔力があればどうにかなるサーヴァントよりも、マスターたちに残しておいた方が良い。その理屈はわかる。だがガネーシャ神がカルナの手当てをできるなど、これが最初で最後かもしれないのだ。
腕が千切れたとか、腹が裂けたとかではない、指先の小さな傷だ。消毒して絆創膏を貼る。十分、彼女の手にも負える。あえて言うならば、傷口が見え辛いというのがあるけれど。
ガネーシャ神は眼前にカルナの手を持ち上げると、ムゥッと目を凝らした。カルナはたじろいだが、彼女はこの好機を逃すつもりはサラサラなかった。
「わかっているんだ」
「……へ?」
「肌は濁っているというのに血は赤い。お前が不可解に思うのは当然だ。驚かせて悪かった」
無防備な眼差しに、カルナは己の愚かさを思い知る。指先に違和感を覚えた時に、修復してしまえば良かったのだ。だが、カルナは痛みとすら感じなかったそれに考えてしまったのだ。
黒く濁った指を伝い落ちた鮮血。万人と同じ赤い色。人らしからぬ男が流すには不相応な血だ。彼女はこの色をどう思うだろうか、と。答えなどわかり切っていたのに、馬鹿なことを聞いた。
「ボク、大きな人一人包み込めるくらいの絆創膏は持ってないんスよね」
突き放す口調に、カルナは頭が押さえつけられる気がした。ガネーシャ神が呆れるのは道理で、だが人を包み込める絆創膏とは、布団ではないだろうかと考えてしまう。
「なぁに笑ってんスか」
「いや、布団にしがみついて離れないお前を思い出していた」
「思い出すタイミング、どこにあった?」
「オレも驚いている」
今朝も包み込まれて動けないと、布団から頭も出さない相手を引きずり出したのはカルナだ。今日は、厨房で女神の代わりを務めるのだと聞いていた。
「それは良かったっスね」
榛の瞳がカルナを睨むように見つめる。大きな双眸に映る男は、情けない顔をしていた。そんな不甲斐ない面を晒すカルナに、ガネーシャ神は厳めしい顔を作ってみせた。
「カルナさんが怪我したらボクは驚くっスよ。血の色が赤でも青でも金ピカでも。どうしてかは言わないけど、ものすごく頭に来たから謝って」
「すまなかった。馬鹿なことを聞いた」
「ほんとっスよ。これ、お前の血は何色だーって言われる案件」
「オレの血は赤だ」
「知ってる。知らないって言いたいけど、知ってる。カルナさん、無茶ばっかりするんだもん。手当ては難しいことばっかり。今回は簡単だって思ったのに、難易度ガン上げしてくる」
「気をつける」
「いいっスよ、気をつけなくて。ボクは勝手に大騒ぎする」
温かい手がカルナの手を掴む。柔らかさを宿した声が「絆創膏を貼るから」と告げる。
カルナは死者の影法師だ。治療は生者のためにあるべきだ。だけれど――。
満ちる感情が口を塞いで、カルナは手当は不要だと言えなかった。
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