寂しさが証明する
2021年9月から2022年10月までのWEB再録集「PickOut50」収録のカルジナです。
(どうしよう)
明らかに困惑しているカルナに、ジナコも同じだけ――否、それ以上に混乱していた。でなくばこうはならない。
「ガネーシャ神、これは新手の苦行か? オレは試されているということか。受けて立つのは問題ないが、猶予をもらえないだろうか。精神を少しだな……」
カルナの目が忙しなく泳ぐ。声も所々閊えていた。歯切れも悪い。何故か。推理はするまでもない。答えは実感している。
ジナコはカルナに全身でくっついている。抱きつくという次元すら越えている。人生で、男に胸を押しつける日が来るとは思わなかった。胸の狭間から紅い石が覗いている。眩暈がするような現実だ。これが躓いて転んでカルナを押し倒したというならば、おちゃらけた後で一人身悶えればいい。
現実は無情だ。ジナコはジナコの意思でカルナにくっついたのだ。ここに座ってと自らの横を叩き、構えなく近づいてきた相手に「よしよし」と思っていた。何も良くはない。あの時のジナコはどうかしていた。
(どうにかしたいって思ってた。それはわかる。でも、なんでこの結論に辿り着いたの!?)
我ながら皆目見当もつかない。他にやり方はあったはずなのだ。しかしジナコはカルナに胸を押しつけている。ついでに言うと、膝にも乗りあげている。場所はジナコのマイルームでベッドの上だ。条件が揃っている。何のと言えば、そういうことのだ。経験はないが「誘っている」と判断されて当然の――そういうことも良しとなる関係ではあるが、彼女の思惑はそうではなかった。キスも覚束ない身の上だ。そんな女が「誘う」など、三段飛ばしにもほどがある。
肩の上をカルナの手が彷徨っている。思えば、この手がすべての根源だった。憎たらしいが嫌いにはなれない。いっそ引き剥がしてもらいたい。これは意図的ではあるが不可抗力なのだ。
(カルナさんに丸投げしたい。このままくっついてれば、引っぺがして説教ルートに入るはず)
カルナはジナコに過保護だ。その警戒対象には自らも入っているようで、無防備な真似はするな、警戒心を持てと嘆息する。
ジナコとて、女であるという自覚はある。誰の前でも寝こけはしないし、薄着でだらけもしない。まぁ、仮に誰かが目にしても、マナティが浜に打ち上がったと思われるのが精々だろうが。ご褒美にはならない。特攻対象はカルナだけだろう。
一人でないと困るとカルナは言う。物好きな男である。その物好きを知るからこそ、ジナコはカルナを誘惑するようなこともできた。「これだ!」と彼女は思ったのだ。後先考えないのはジナコの悪癖の一つだが、それにしたってこれはダメだ。
(無理。温度が近い匂いが近い距離が近い。カルナさんを見ない方法がわからない)
ドクドクと、合わさった胸からどちらのものともわからない心音が伝わる。気絶しないことが嘘のようだ。
仕掛けたのはジナコだが、彼女の目的はカルナを誘惑することではもちろんなく、くっつくことでもなかった。奥手というか、ジナコを大事にする男に思うところはあったが、今回の発端はそういうことではなかった。胸を押しあてるよりも、膝の上に座るよりも、他愛ないことだった。
カルナはその目的を知らない。彼女はカルナに何も説明していなかった。最初から話すことができるなら、こんなことにはなっていない。
「お前の意図がどこにあるのかはわからない。悪いものではないのだろう。だが、このままでは良くないことになる。それはわかる。不快、ということではない。その逆だ。ガネーシャ神、聞く耳を持ってくれ」
急かすように言い募られ、ジナコは目を丸くした。カルナが最初から言葉を足している。
(眉間の皺がすごい。目が据わってる)
だけれど頬は紅い。
ジナコは口を開けない。空色の双眸には間抜け面のジナコが見える。いつもよりずっと近い。呼吸が浅くなるのは、重なった胸や腹の感覚が伝わるからだ。それだけ二人には間がない。
ポカンとしたままのジナコに、カルナは深々と溜息を吐いた。今まで聞いたことがないほど長い溜息だった。上下する喉仏に「男の人だな」と当たり前のことを思う。
くっついた体は柔らかさが皆無だ。どこもかしこも硬い。硬いけれどしっかりしていて、温かいし安心するし落ち着く。ジナコがカルナを座椅子がわりにゲームをするのはお決まりだった。眠くなればそのまま寝落ちることもある。
今はその自分が思い出せない。どうしたら眠れると言うのだ。警戒心を持て。カルナはカルナさんだが男の人だ。当の本人がそう言っていた。それを聞き流してきたのはジナコだ。
「オレからお前を離すことはできない。それは理解して欲しい。このまま望むことをして良いなら、そうする。用意されて食らいつかぬほど、オレは行儀の良い男ではない」
背に腕を回される。体を固定され、ジナコはビクリと硬直した。
「食べて良いなら味わう」
熱を帯びた声に、ジナコは喉が引き絞られる心地がした。
味わうとは何だ。そんな骨の髄まで食べそうな顔は、知っていた。だけれど知らないふりをしてきた。カルナはジナコに過保護だ。臆病な彼女を優先する。でも欲がない訳じゃない。ジナコはカルナにくっついている。胸は押しつけているし、膝を跨ぐために足だって開いている。
「な、なっ、そういう、意味、じゃ……っ」
「わかっている。ようやく口を開いたな」
カルナが唇を緩める。獰猛だと感じた気配が霧散する。頬を撫ぜる指は、気を立てた動物を宥めるそれだった。
「すまなかった。お前を脅かすつもりはなかった」
「やり方ぁ!」
ジナコはカルナの胸を両腕で押し退けた。カルナは仰け反った背を慌てることなく支える。腹が立つほど扱いに慣れている。
「それでどうした。お前がオレに寄りつくなど、座椅子がわりにすることは間々あるが、今日はそうではあるまい」
「……うっ」
口ごもるジナコに、カルナは懇請するように「教えてくれないか」と言う。
「オレに、至らぬところが多くあるのはわかっている。察しが悪いんだ。お前に関しては特に、欲求が先に立つからだろう。教えてくれなど、甘えたことだとも思う」
「うぅ」
ジナコは唸った。それを甘えというならば、ジナコは何なのだ。
つむじの辺りにカルナの視線を感じる。体は変わらずカルナにくっついている。ジナコが自分の意思でそうした。
(だって、どう言えって言うのよ。こんな、本当にっ、木を隠すなら森じゃないっ!)
世には、大が小を兼ねないこともある。さっさと白状してしまえば良かったのだ。
だが、最初から素直に本心をお話しできるジナコはジナコではない。そういうジナコは、偽物か霊基異常か異次元産の謎のナニカだ。
ジナコは自分のバリエーションは一種で良いと思っている。増えても誰得だし、ただでさえイロモノなのにこれ以上は肩身が狭い。
まず増えるって何という話だが、サーヴァントもといカルデアでは良くあること。深く考えてはいけない。しかし、良くあることだと甘んじられるかといえばそれは否。神霊サーヴァントでも中身はジナコ。評判も評価も気になる。期待は困る。当たらず障らず、でも時々褒めてもらえると嬉しい。
感性が小市民というなかれ。ジナコは一般人だ。なので、水着もサンタもありません。そういう意外な一面は、需要のある人でお願いします。
(カルナさんとか、カルナさんとか、カルナさんとか!)
イベント時期になるとカルナがソワソワするのと同じぐらいには、ジナコもソワソワしている。霊衣もアリだ。貢がせて欲しい。
とにもかくにもジナコには、その場しのぎの嘘を吐いて自分で自分の首を絞める自業自得なジナコしかいない。我ながらしょうもないが、それがジナコという人間だった。今は一応、神霊の疑似サーヴァントではあるのだが、だからと言って高尚な人間にはなれない。なので、こんなことになる。
視界の端に、カルナの手が見える。頬を撫でたり髪を梳ったりと、ジナコを宥めるというか、絆すことに余念がない。
――気づかなければ良かったのだ。そのままでも不自由はないのだから。だけれどジナコは気づいて、そして思ってしまったのだ。このままはイヤだ。寂しい。そういう自分を知ってしまった。
「手」
「……て?」
「手を繋ぎたかったんスよ! 掴まれるんじゃなくて、ちゃんと繋ぎたかったの! くっついて、その、したいことを有耶無耶にして、その間に繋げればいいなって目論んだんスよ!」
それが三段飛ばしで誘うような形になってしまったのは、ジナコの経験不足だ。
「手を……」
己が手を見てジナコを見て、カルナが中途に言葉を切る。見返す面は唖然としか言いようのないもので、冷静なジナコが「その反応わかる」と大きく同意していた。
全身でくっついて、胸を押しつけて足を跨いでしたいことが「手を繋ぐ」。自分でもどうかと思う。カマトトぶっているなら救いはあった。ジナコは素だった。思いついた時はこれだと、喝采すら上げていた。これが嘘偽りなき現実。こういうのは、もっと純真無垢な人でこそ映える。ジナコでは痛ましいしかない。
「オレとお前は、手は繋いでいるはずだが」
カルナはジナコの右手を取った。柔らかい手は抗うことなくカルナの手に入る。
無防備な温もりはカルナを喜ばせる。信頼されている。可愛い。愛しい。庇護したい。彼女を傷つける者は、己でも許せない。大切に大事にしたい。だけれど、カルナは聖人ではなかった。
隙間なく体を寄せられて、庇護と欲求に天秤はグラグラと揺れ続けた。今も揺れている。カルナは、歓喜も悲痛も、彼女から施される感情を甘美と思う。
「違うもん。カルナさんのは手を繋ぐんじゃなくて、掴んでるって言うんスよ」
唇を尖らせて、ジナコがカルナを詰る。彼は天を仰ぎたくなった。これがジナコという女だった。
年上風を吹かせる彼女だが、人生を終えた英霊たちは気づいている。彼女は穢れを知らない。悪意は知っているようだが、好意には純潔だ。ジナコはカルナを過保護だと言う。当然だと彼は思っている。
「そっ、そんな呆れた顔しなくてもいいじゃない! ボクだって、もっと他にやり方はあったでしょって思うっスよ!?」
ジナコは、掴まれていない方の指をピッとカルナの鼻先に突きつけた。顔が火を噴きそうだ。だが、ここまで来たら誤魔化す方が恥ずかしい。
「カルナさんが悪いんだからね! いっつもボクの手を掴むからっ!」
ジナコがカルナにくっついた理由。彼女は気づいてしまったのだ。カルナに手を引かれながら、これは手を繋ぐと言えるのだろうか、と。
カルナの掌の中で、ジナコは指一つ動かせない。その手の温かさは知っている。優しく掴まれるのは嫌じゃない。でも、ジナコからは何もできない。掴み返せない。カルナは何も感じないのだろうか? ジナコの手を掴むだけで満たされるのだろうか?
――寂しい。嬉しかったはずなのに、心許なくなった。
「掴まれるだけじゃなくて、繋ぎたいっていうか、そういう概念が……ひやぅ!」
「こうしても良いのか」
「予備動作は!?」
「言ったら逃げられる気がした」
その予測は正しい。
左手に黒い指が組まれている。これはいわゆる恋人繋ぎというやつでは? それに、右手は掴まれたままだ。体もカルナにくっついたままだ。ベッドの上で、そういうことの予行練習のようではないか。ビクつくジナコに、カルナの目が揺れた。
「お前は、オレのような男と手を繋いでくれるのか」
どうしてそこで引くのだ。半眼になったジナコに、カルナが口を閉じる。
「ような、じゃないでしょ」
繋がった指を絡め返す。これはジナコの意思だ。目を逸らせない距離も、胸を重ねたのも、足を預けたのも、両手の自由がなくても怖くない。怯むのは、自分の欲深さを見つけるからだ。
手を掴むだけではなく指を絡めて、身を隙間なく寄せ合って、――馴染めばジナコは寂しくなる。そして気づくのだ。
目を瞑ったって、欲しいものはここにある。いつだってジナコの手の届く場所にいる。知らんふりが出来なくなる日は遠くない。きっとカルナは、その日を待っている。
「掴みたいの、自分だけだって思わないでよ」
「そうか、そうだった。キミはオレに惚れる物好きだった」
右手にも指が絡む。頭の天辺に吐息が重なる。蕩ける声音に骨は溶けそうだ。
(くっついてて良かった)
もうジナコは、手を繋ぐだけでは寂しくなっている。
0コメント