身の程知らずの恋
2021年9月から2022年10月までのWEB再録集「PickOut50」収録のカルジナです。
身の程知らずの恋をしている。
人には器というものがある。できることと、できないこと。許せることと、許せないこと。ジナコの恋は、彼女には過ぎたモノだった。
一定の間隔で電子音が聞こえる。医務室は清潔で無機質で白かった。匂いはなく、光源は惜しみない。その中で、青い瞳がジナコを見ている。それだけができることだというようだった。
なけなしの意地をかき集めて睨みつけていると、相手の視線が逸らされる。いつも俯くのはジナコであったから、少しだけ新鮮な心地になる。まったく嬉しくはなかった。
「次は、もっと上手くやる」
「そうじゃない。そうじゃないってわかってるのに、そういうこと言わないで」
ジナコはカルナを詰った。
喉が震える。目が熱い。鼻がぐすりと鳴る。上手く息ができない。不格好に息を吸っては吐く彼女の頬に、触れるものがある。温かくて大きな手だ。硬くかさついた肌がぎこちなく、熱をもった頬を撫ぜていく。
ジナコは泣いていた。カルナが泣かせたのだ。彼もそれはわかっている。原因も、これからも同じことを繰り返すであろうことも。
「わかっている。お前の求めるものが、そうではないことは。だが、オレがお前に誓えるのはそれだけだ。二度としないとも、お前を泣かせるような真似はしないとも、約束できない」
「こういう時は嘘でも『もうしない』って言うんじゃないの?」
「言えない。悪く思ってくれてかまわない」
「これ以上、どう悪く思えって言うのよ。帰ってくる気だってなかったんでしょ?」
「帰って来たいとは思っていた」
「でも、帰れなくても良いって思ってた!!」
ジナコは頬を辿る手を振り払おうとした。温かい手が怖かった。こうして自分ではない温度で慰められることを、奈落の底に突き落とされるようだと感じる。
ジナコは医務室にいる。ベッドに横になっているのはカルナだ。戦闘でひどい傷を負ったのだ。ジナコはその姿を見ていない。彼女が帰還したのはカルナの後だった。
撤退戦だった。カルナは殿を引き受け、帰ってこなかった。だから、彼女はカルデアに送還された彼がどんな姿だったかを知らない。現界はこれからも維持できると、マスターたちから教えられてはいる。「運が良かった」。その安寧を告げる言葉に、ジナコは目の前が真っ暗になった。
(もし、運が悪かったなら……?)
霊基凍結では終わらないだろう。
ぼたりと一際、大きな雫が目から零れる。無意味な涙だった。カルナは否定をしなかった。帰れなくても良かったのだ。この男は、嘘を吐かない。この涙は本当に塩水と同じだった。ジナコは笑おうとした。もう泣くことにも疲れていた。
「ねぇ、そんなことないって言ってよ。カルナさんの言うことなら、信じるから」
「下手な嘘だ。傷つけるとわかっていることを、どうして言える」
落ち着いた口調は冷たかった。そのくせ、瞳は不安に揺れるのだ。縋るような双眸に肌が粟立つ。こんなに酷いコトはない。
「……嫌い。カルナなんか嫌い。酷いことばっかり言う」
澱を吐く声は情けなく震えていた。彼女は戯けることは得意でも、真情を吐露することは下手だった。
未発達の感性は、どんなに取り繕っても幼子のように喚くことしか知らなかった。泣いたことで縺れた髪が、視界に暗く影をかける。
ジナコはカルナに恋をした。叶った時は、これ以上の幸せはないと思った。愚かだった。ジナコは自分で思うよりもずっと無能だった。
「こんな気持ちになるって知ってたなら、わからないままでいたかった。カルナはどうしてアタシのこと、好きだなんて言ったの。無理だって、わからなかったの?」
責める口調になるのは、彼女の未熟さだ。成熟には程遠い精神が、相手に咎をなすりつけようとする。
悪いのはジナコじゃない。受け入れたカルナだ。彼は英雄で、ジナコは何もない人間なのだから。特別な方に天秤は傾く。そういう弱者の甘えだった。
「嫌いになりたい」
彼女は、幾度目とも知れない願いを口にする。それは本心だった。ジナコはカルナの生き方にも価値観にも共感できない。
ジナコはカルナを死地に残すのが怖かった。一緒に逃げてと縋りつきたかった。
人類の命運なんて知らない。他の誰がどうなったって良い。カルナに生きていて欲しい。失くしたくない。好きだから――カルナを止めるには、足りない理由だ。
「そんな恐ろしいことを言わないでくれ。次は、もっと上手くやる。だから、オレからお前を取り上げないでくれ」
たどたどしく頬を拭われる。肌がすれて、少し痛い。この男はすぐに力加減を間違える。カルナのこういう不器用さを目にするたびに、ジナコはたまらなくなる。
(なんで怖がるの)
カルナはジナコが「待って」と言っても聞いてくれない。いつも先に行ってしまう。取り上げるというならば、カルナの方が余程だろう。
この男は帰れなくても良かった。恋はその意志を変えることはできない。もう身に染みているのだ。何度も同じことを繰り返した。カルナは英雄だった。カルナと恋をするには、ジナコは平凡だった。
(もう厭なのに)
白い髪の影で、空を思い出す瞳が揺らいでいる。
カルナはジナコに動揺する。不安になる。嫌われることを怖がる。カルナはこういうところは、本当に矛盾だらけで平凡だった。ジナコと同じだった。
「嫌いにならないでくれ。オレは、帰れなくても良かった。だが、帰りたかった。キミのもとに帰りたかった」
「どうして、そんな酷いことを言うの」
「本当だ。本当、なんだ」
そんなことはわかっている。わかっているから、苦しいのだ。
カルナは災害のようだ。この男は、ジナコの日常も体も心も滅茶苦茶にする。これほど、恋をしてはいけない男はいなかった。
「嫌いになりたい」
ジナコは頬を辿る手を掴んだ。温かかった。とても、知らなかった時がわからないほどに。
重なって震えた手がどちらかなんて、わからなくて良い。疲れたはずの涙がこぼれ出すのを感じた。
あぁ、本当に。――身の程知らずの恋をしている。
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