愛しの記念日
2021年9月から2022年10月までのWEB再録集「PickOut50」収録のカルジナです。現代設定。
打つべきは先手だ。
今年も愛妻の日がやって来る。それは、ジナコが羞恥で悶絶する日だった。
彼女を愛妻だと称することに躊躇のない男は、日常的に愛情を口にする。ジナコが疑う余地すら奪う勢いで告げてくる。曰く、ジナコを前にすると言わずにおれない。
病だろうか? 思わずツッコんだジナコに、カルナは「間違いではない」と頷いた。何の病かは明かすまい。とにかく、愛妻の日はその病が悪化するのだった。ただでさえ壊れているブレーキが、愛妻の日という大義をもって大破する。
(言い方とか表現はアレだけど、こちらも長い付き合いなわけで……何でも繰り返すとどうにかなる)
誰が聞いても貶しているとしか思えない言葉も、「そういうことか」と掴みどころを得てしまう。
ジナコは息も絶え絶えだ。伝えられる愛情に「嬉しい」と微笑むような、そういうのはジナコのキャラではない。もしもジナコがそんな反応を示した日には、この(今は)静かにしている男は、彼女の額に手を当てるだろう。「何を企んでいる」ぐらいのことは言いそうだ。事実、彼女がそういう態度を取る時は含みや後ろ暗さがある時だった。まったくもってジナコへの造詣が深い。
「カルナさん、明日なんだけど」
「愛妻の日だな」
即答だった。どれだけ意気込んでいるのだ。それ以外にないのか。
呆れ顔を作ったジナコに、カルナは「これで最後だぞ」とチョコの包み紙を開けた。口が半開きになったのは、もう一個という意味ではないのだが。しかし、食べて良いというなら食べる。
モグモグと口を動かすジナコをカルナは満足げに見ている。ジナコは自分に甘いが、カルナの甘やかしには負けると常々思っている。
「大したものだな。小さなチョコでも食べ損なうとは」
「むぅっ」
指で唇を拭われた。教えてくれれば自分で取るというのに。
とにかくこのカルナという男、ジナコに甘やかすことに余念がないのだ。言葉の切れ味が鋭く一言どころでなく足りないので、亭主関白に見られているが、その実はこれである。毎日、ジナコを甘やかしてはパヤパヤしている。
元より彼女に甘い傾向はあった。それが夫婦になって加速した。カルナがあまりに甘やかしてくるので、ジナコがしっかりしなければと思うほどだ。カルナを自由にしておくと快適空間が構築されて、ジナコは一歩も動かなくなる。甘やかしと自堕落が合わさるとこうなるの見本市だった。
「お前が愛妻の日と覚えていたとはな」
カルナが感慨深げに言う。誰が忘れるものか。
(いつもでこれなのに)
カルナの甘やかしは明日の前哨戦、という訳ではなく日常だった。明日はその上を行く。たとえば唇を拭うのも今日は指だが、明日には唇になる。愛妻の日なので。やはり、打つべきものは先手だ。
ジナコはカルナと向かい合わせに座り直した。彼女は背中からカルナに抱え込まれていた。プライベートのいつもである。明日になるとどうなるかといえば、横抱きになるならまだ可愛いかった。
「明日は愛妻の日だけどそうじゃない。明日は愛夫の日! 主役はカルナさんっス!!」
「明日は愛妻の日だぞ」
「よそはよそ、うちはうちっス。ボクが決めた!」
愛妻の日はあるが、愛夫の日はないはずだ。
ジナコが寡聞にして知らないだけかもしれないが、ないなら作ればいいじゃない。それが記念日である。
「お前が決めたのか」
「そうっスよ。変更は不可だから」
世間がどうであれ、ジナコたちには明日は愛夫の日である。同意を求めると、カルナはぎこちなく頷いた。ジナコは笑顔になった。
「そんなに嬉しいのか?」
「もちろん!」
これで明日は安心。ジナコの平穏は守られる。
(記念日って言っても、ボクは何もしないけど)
少し、いつもより一回ぐらい多めにキスはしてもいいかもしれない。何もなしというのは、悪い気もする。
ニコニコと笑うジナコに、カルナは難しい顔をした。眉間の皺は深く、唇は引き結ばれている。物騒極まりないが、これはカルナが嬉しい時の顔だった。
「カルナさん、どうかしたんスか?」
「どうもこうもない。お前はオレが甘いというが、オレなどお前には到底及ばない」
「そんなことなくない?」
「ある。オレは、お前は、明日は愛夫の日だと決めた。その上で主役はオレだと言った。こんな甘いものが他にあるものか」
剣呑な顔のまま、カルナが噛み締めるように言葉を連ねる。
「ジナコ、オレはお前に愛しい妻だと伝えられる。これ以上の幸福はないと思っていたんだぞ」
その口調は少し憎らしげだった。拗ねているようにも聞こえた。
ジナコは、ジワジワとカルナの言いたいことがわかって来た。
愛妻とは愛しい妻だ。つまり――。
「だって、それは、そのっ、カルナさんが悪いんスよ!? アタシのこと好きだ好きだって言うから!!」
「ジナコ、手心をくれ。明日までもたない」
カルナが呻く。その肌は耳まで真っ赤になっていた。どうして、なんて言うまでもなかった。
ジナコはカルナの、愛しい夫の愛妻なのだ。
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