太陽の花にキスをした
2021年9月から2022年10月までのWEB再録集「PickOut50」収録のカルジナです。
その行動に深い理由はなかった。あえて言うなら思いつき。身に覚えがあったので、試みたというところ。
ガネーシャ神のこの主張は藪蛇だろう。カルナは実力行使に出ている。前髪の影からこちらを見下ろす瞳は雄弁だ。
(不満と不満と、ほとんど不満)
言いたいことなら、彼女にも一言ならずあるのだが。
人の部屋に無断で入って来るとはどういう了見だとか、ぐっすり寝ている相手を担いで運ぶのは何の魂胆だとか、こちらの都合も聞かずにシミュレーターに連れ込んだかと思えば、「あとはご自由に」とはどういう心算だとか。ガネーシャ神は、そのどの一つもまだ口にしていない。
(だって暑い)
今も暑い。顔は火照る。頭からは煙が出そうだ。
カルナが彼女を運び込んだのは、燦々と太陽の照りつける平原だった。季節はおそらく夏。いつの時代、どこの国であるのかはわからない。わからないが、暑いことに変わりはない。ジリジリと肌を焼く炎天下では、減らず口を叩く気力も蒸発する。
ガネーシャ神は、木陰でカルナの用事が終わるのを待っていた。涼しい場所から出るなど、頼まれてもお断りだった。文句は部屋に帰ってからにする。
ガネーシャ神はそう決めていたし、カルナも彼女は動かないと見込んでいたのだろう。暑いと茹だれる女の手にスポーツドリンク(戦闘ガチ勢御用達。医療サーヴァント監修)を持たせると、さくさくと行動を開始したのだった。
互いの中の暗黙の了解のようなものを反故にしたのはガネーシャ神だ。だが、責められる謂れはない。「ここで待っている」というような約束はしていないのだ。今までがそうだったというだけで、今日も同じと思ってもらっては困る。
「カルナさん、手放して」
「断る」
即答である。そんな食いつくように言うことか。
ポカンとしたガネーシャ神に、カルナは苦い顔をした。その他者が見れば不穏を抱くであろう表情は、彼女への甘えでもあったし、自分と相手との温度差に傷ついた、というのもあった。
ガネーシャ神には、さして意味のある行為ではなかったのだろう。その証拠に、彼女はカルナの行動にしばらくは何が起きたかわからないというような顔をした。今も過ぎた反応だと思っているフシがある。カルナは良く自制できたと、自らを褒めても良いと思っている。
「お前の軽挙妄動はどうかと思う」
「どうかと思うのはカルナさんの方っスよ。軽挙妄動って本当に人に言う?」
「他に言い様がない。軽はずみな行動は控えろ。被害が出てからでは遅い」
「被害出してるの、カルナさんじゃん」
「未遂だ。現段階においては、というところだが。仮に出たとしても不可抗力だ」
「不可抗力って、カルナさんが手を放せばいいだけの話」
ガネーシャ神は、カルナが掴んで放さないものに目を向けた。
戦士に首を掴まれ、今は重く頭を垂れているもの。それは、彼女がキスをしようとした相手だった。
ガネーシャ神はカルナに見つかるとは考えず、仮に見つかったとしても大したことにはならないだろうと踏んでいた。ところが、相手は想定外の反応を返してきた。おかげで彼女は暑くて堪らない中、カルナと問答する羽目になっている。
「放すことはできない。ガネーシャ神、お前は何をしようとしていた」
「わかってるくせに言わせたいって、どうかと思う」
現場は抑えられている。しようとしたことは明白だ。その上でこちらの口から言えというのだから、良い趣味をしている。
「そうだな。この衝動は度し難いものだ。だが、オレはお前から聞きたい。お前の返答によっては、オレはこれの首を落とさねばならない」
「物騒っスねぇ」
さして困った様子もなく軽く笑うと「しかたあるまい」と、低く抑えられた声が耳朶を打つ。
「誰であれお前の唇を得たならば、オレはその首を落とさねばとても平静を保てまいよ」
淡々と告げる面に冗談の気配はない。言い含めるような、掻き口説くような言葉は本心なのだろう。
ガネーシャ神がキスをしたと言えば、この男は相手の首を落とすのだ。何においても否定はしない。それもあり、の男が珍しいことだった。
「そんなに怒らなくてもいいじゃん」
「怒ってはいない」
「その顔で?」
「オレは元からこんなものだ」
「こういう時だけ無表情を便利に使う!」
抗議するガネーシャ神に、どうなんだとカルナが再び問う。相手の首は掴んだままで、悄然と項垂れても見える姿に、彼女は「悪いことをしたな」と思う。頷くのは癪だが、軽挙妄動だった。だが、カルナの反応も過ぎている。
「キスっていったって、相手は向日葵っスよ? そんな目くじら立てなくたっていいじゃない」
そうなのだ。キスの相手は物言わぬ植物。カルナが彼女を連れて来た平原は、向日葵畑だった。自分たちの他に、人影はない。エネミーの出現する様子も同じく。おそらくだが、そういう設定にしてあるのだろう。
「向日葵でも、だ。だからこうなっている。オレは焦ったんだぞ。本当に、頭が真っ白になった」
「はいはい、そうですかー。未遂っスよ。カルナさんの方が早かった」
だから放せ。ガネーシャ神は花を掴んでいない方の腕をひく。カルナは彼女を見つめると、嘘を吐いていないと判断したのだろう。ようやく向日葵を解放した。
紺碧を背景に首を揺らす花は(仮想にこの表現が正しいかはわからないが)命脈を絶たれず、ホッとしているように見えた。悪いのはカルナかガネーシャ神かはさておくとして、災難であったことは事実だった。枯れてしまわなければいいのだが。
ガネーシャ神は向日葵の様子を窺おうとした。途端に体を引き戻されたが。警戒心がすっかり強くなっている。
「カルナさん。手、放して」
咎めを込めて呼ぶと、青い目が揺れた。
「できない。お前が自ら炎天下にまろび出でて来た挙句、花に口づけを試みる。気の迷いにしても過ぎている」
「言い方。心配と失礼と根暗がごちゃ混ぜになってるじゃない」
ガネーシャ神はフスンと鼻を鳴らした。そう掴まえなくても、こちらのキスの理由もカルナと大差ない。
(カルナさんは気づいてないみたいだけど)
カルナは彼女を向日葵畑に連れて来た。意図は教えられていない。一言どころか、全部足りていなかった。文句を言えば、カルナは「念のためだ」とでも言うのだろう。「逃げ出すのが目に見えている」くらいは言うかもしれない。本当のところはわからない。そういうコトを聞くのは、部屋に帰ってからと決めていた。
彼女は、向日葵畑を歩き回る男を見ていた。男が女の背には余る花を摘んで束ねても、コトリと逸る鼓動は気のせいと思うことにした。
太陽は熱い。近づけば頭はクラクラとする。彼女は身をもって知っていた。カルナの用事が終わるまで、日陰から出るつもりはなかった。だというのに、彼女は一部の隙もなく白日に晒されきっている。
「もうしないっスよ。気の迷いみたいなものだし」
「どうして、この花だった。お前は迷う素振りがなかった」
「こっ、拘るっスね。しつこい男は嫌われるって知らないの?」
「嫌われるのは困る。だが万難は排しておきたい。小心だと笑うなら笑うがいい」
「カルナさんが小心なら、ボクは何なんスか」
「お前は、人目に見えるより胆力がある」
「それはどうも。褒められたってことにしておく」
ならば黙秘もできるだろうか? だが、こうなったカルナは意地でも聞き出すまで諦めない。時々カルナは不寛容になる。
「ボクが迷わなかったのは、こういう理由っスよ」
ガネーシャ神はつま先立ちになると、見た目だけは冷たい白髪を指先で払った。一瞬だけ覗いた額は白いままだった。同じ熱の下にいるのに、これは不公平というものではないだろうか? 自分の顔は見えないが、熱に浮かされていることはわかるのだ。
指先が触れた瞬間「ジナコ」と思わず、というように名前を呼ばれる。こういうところもカルナはズルい。
「……背丈、同じぐらいでしょ? カルナさんとこの向日葵」
「そうなのか? 自分ではわからないが」
青い目が、無体を働いたばかりの向日葵を見る。淡白な反応に彼女は唇を尖らせた。予想はしていたが、カルナは自分に無頓着だ。
「ボクは嘘つきだけど、これは嘘じゃない。カルナさんだってわかるでしょ。違うって言うなら、ただじゃおかない。――ボク、見てたんだからね」
「何を」
「カルナさんがキスするの」
パチンと大きくカルナが目を瞬く。そう、彼女は見ていたのだ。
平原にはたくさんの向日葵が咲いている。キスの相手は選り取り見取り。でも、ジナコはキスする相手を迷わなかった。カルナもそう見えた。愛おしむように手を差し伸べ、祈るように唇を贈った。その行為の意味を、彼女は知らない。まだ、と思うことは自惚れではないだろう。
英雄の背中に隠れていた記憶より、隣に立つ時間が長くなった。向かい合う時も、目を合わせる温かさも。同じかどうかなんて、目の前に立てばわかる。
「上手くできる自信がなかったんだ。他意はない。それ以上の意味も、この様では何を言っても恥の上塗りだろうが、上手くやりたかった」
別にいいのに、と彼女は思う。キスの上手い下手など彼女にはわからない。だが炎天下でも顔色一つ変えない男の情感は、悪いものではなかった。
ジワリと白い頬に熱が滲んでいく。その肌に呼応するように、コトコトと鼓動が逸りだす。頭がクラクラとするのは、とっくに太陽ためではないと気づいている。さっきまで白かった額すら、色づくわけ。
彼女は、すっかり覚えてしまった高さと視線を合わせる。
「カルナさん。ジナコさんが、これからのためになるお話をしてあげる。練習するなら、向日葵よりアタシにして」
「本命で練習する人間がどこにいる」
「ここにいる」
ジナコは自分を指さした。
ゆっくりと、空を見るたびに思う瞳が見開かれていく。その意味に、彼女は笑った。
この軽はずみは、大丈夫。きっと正解だ。
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