予感がする
2021年9月から2022年10月までのWEB再録集「PickOut50」収録のカルジナです。
ガネーシャ神に会えなくなった。
誰かと話す声も、遠くに姿を見つける。それすらパタリと途絶えた。偶然ではなく、意図的なものだった。彼女はカルナを避けている。それは暗黙ではなく公にされている。カルナ自身、マスターに通達されたのだ。
「ガネーシャさん、色々あってさ。今はカルナと顔を会わせ辛いって、だから時間が欲しい――って、危ないことがあった訳じゃないから! 槍はしまおう。落ち着こう」
マスターの言葉は嘘ではなかった。ガネーシャ神にあった「色々」は、その身が危ぶまれることではない。だが、彼女にはカルナに会いたくない理由がある。
「時間とは、どの程度だろうか」
「それはガネーシャさん次第かな? 今までが今までだったから……。あっ、でも悪いことにはならないと思うよ! 時間は、ちょっとかかりそうだけど」
苦笑するマスターに、カルナは承諾の意を伝えたのだろう。記憶が定かでないので曖昧だが、その日からガネーシャ神はカルナの日常から姿を消した。部屋を訪ねることもしていない。正確には、出来ないようになった。
無意識とは御し難いもので、カルナはガネーシャ神の部屋に向う。だが辿り着けない。おそらく障害神の権能が発動しているのだろう。
廊下を長々とうろつくカルナに、ヴリトラは目を輝かせていた。カルナは別段、不服がある訳ではないのだ。障害を踏破しようという意志もない。ガネーシャ神には理由がある。カルナが気づけばそうなっているというだけだ。
出来るのに普段はどうしてああなのかと、アシュヴァッターマンは額に手を当てていた。それは彼女だからと言うより他はない。やらない時は本当に何もしないが、やると決めたら徹底的にやる。
「つってもよ、ちったぁ手心があっても。……無理だな。そいつは無理だ」
アシュヴァッターマンはカルナを見ると、彼女の為しようを已む無しとした。
カルナは、アシュヴァッターマンのように理知的な男ではない。だが、隙を見せたからといってそこに力づくで押し入るような真似はしない。距離を置きたいと言うならば、見かけても話しかけない。ただ、無言で見つめるとは思う。
「それが絆しにかかってるも同然っつーか、ガネーシャサマも大概だが、テメェも相当に参ってるな」
「……思う以上ではある」
最近、カルナは無言で肩を叩かれたり、小鉢が一品増えるようになった。先ほども、エウロペに飴を食べるかと問われた。
「頭は撫でてあげられないけれど、飴をあげましょうね」
神妃の慈悲は丁重に辞したはずなのだが、カルナは飴を所持している。
ガネーシャ神は甘味を好む。油分も好むが、神妃の飴は別格とのことだった。次に会った時に喜ぶだろうか。その次がいつか、カルナは知らないのだが。
『ホッとすると言うか、和むと言うか。無条件なんスよねぇ、エウロペさんの甘さって』
甘いとわかっている飴を、カルナは一つも食べずに待っている。
ガネーシャ神に会えなくなっても、カルナの日常はさほど変わりがなかった。
彼女には彼女の日々があり、カルナにも少ないながらに出来ることはあった。思い返すまでもなく、カルナとガネーシャ神は常に行動を共にしていたわけではなかった。現状は、ガネーシャ神が現界する前に戻ったとも言える。だが、カルナの手の届く場所に彼女がいるのかいないのか。この認識の差は大きかった。
障害の権能は健在だ。カルナは廊下に立っていることが増えた。神妃の飴は瓶一杯になっている。今日に至っては、頭に花冠がかぶさっていた。色とりどりの花は好ましい。緑の葉も蔦も、赤の花も黄の花も温かい色をした髪に馴染むに違いない。しかし、花冠は味気のない白髪以外に行き場がない。
カルナは益のない男だ。見合うものは返せない。心苦しく思うが、花冠も飴も施しを求めてではないということに気づいていた。これは「見るに見かねて」というものだ。
「無様だな」
カルナの有り様を端的に評したのはアルジュナだった。正鵠を射ている。
だが呆れを滲ませた口調とは裏腹に、その顔は途惑っているように見えた。何故と思うが、カルナも同じような顔をしている気がした。似ていると言われたことはないが、カルナも途方に暮れている。
ガネーシャ神に会えなくなってから、カルナには飢餓のような、心許なさのような、大切に抱えていたものを取り上げられたような、弁えのない衝動が積み重なっている。
カルナはガネーシャ神に厭われたわけではない。それは予め告げられていた。彼女が十分と思えば、再び会える。顔を会わせ辛い理由が消えるまで、カルナは待てばいい。それだけのことだ。たったそれだけのことが上手くできない。カルナは彼女の元への道を彷徨っている。この姿は無様だ。だが、気づけば繰り返している。
花冠は枯れる前にとエレナが魔術を施した。エジソンが用意したガラス箱に入った花冠をいつ渡せるのか、カルナは知らない。
「おたく、ちゃんと眠れてる?」
「問題ない」
サーヴァントに睡眠は不可欠なものではない。精神を休めるという上では有用かもしれないが、カルナは元から睡眠や食事に積極的なサーヴァントではなかった。事実、眠らずともカルナの槍に曇りはなかった。
答えたカルナに、ハジメチャンこと斎藤一は「うわぁ」と哀れな男を見る顔をした。おどけて振舞うことが常のセイバーには珍しい、おそらく本心からの憐れみである。
カルナは素材回収に編成されていた。マスターが休息をとる間、セイバーは声をかけてきたのだった。
「僕が言えた義理じゃないけど、すごいことになってるよ」
男が指さしたのは、自らの目元だった。
カルナは戦化粧を刷いている。その上でもなお目立つというならば「すごいこと」になっているのだろう。
サーヴァントであっても傷を負えば血が流れる。同様に睡眠が不足すれば隈ができる。違いは存在の維持に支障があるか否かだけだった。
眠れているかと言えば、寝ていない。寝台に身を横たえても眠れない。
「あー、枕が合ってないとか?」
軽い問いは明察だった。睡魔が遠のく原因は、大まかに言えば枕だった。
カルナは眠る時にガネーシャ神の膝を借りていた。曰く「ジッとしててもウロチョロしてても気になるから寝てて」とのことだった。
ガネーシャ神の部屋に寝具は一組しかない。彼女の寝台を借りるのは厚顔だろう。立ったままでも座ったままでもカルナは眠れる。床に寝転がるのは、片づけが必要と思われた。
カルナに与えられたものと同じであるはずなのだが、彼女の部屋には人が過ごす場所は一人分しかない。いつもカルナは部屋の隅に寄っていた。ドア付近はかろうじて隙間があったのだ。狭い場所で睡眠をとるのも修行になる。
『カルナさんはすぐ修行にする。それはそれで落ち着かないっスよ。ここならスペース空いてる』
そう言ってガネーシャ神が示したのは自らの膝だった。確かにそこならば、手足を丸めれば寝場所は確保できる。
『……なんで顔をこっちに向ける。普通、逆じゃない?』
『そういうものなのか?』
誰かの膝に頭を預けた経験など、カルナにはないのだ。だが仰向けでは膝を立てねば体が収まらない。残るのはうつ伏せだが、それは呼吸が上手くできない。
『残りがその二択なんスね。まぁいっか』
彼女の許可を得て、カルナはその膝で眠ることになった。
ガネーシャ神の膝は柔らかく温い。だが、寝心地という点では枕に軍配が上がる。彼女は頻繁に動くし、奇声を上げる。カルナの頭をゲーム機の置き場代わりにもした。手持無沙汰な時は、頬を突かれたりもする。起きれば、髪から揚げ菓子の欠片も落ちてくる。
『えぇっと、次は食べ溢さないように気をつけます』
『食べないという選択肢は』
『ない! カルナさん、髪が白いから目立つっスね。――のり塩っ!!』
声を上げて笑う姿に反省の色は皆無だった。
彼女の膝枕は落ち着かない。精神を休めるには賑やかだ。だが、とても眠れる環境ではないというのにカルナの意識は途切れる。今は不眠とわかる顔を晒している。
「気に入りのものを取り上げられるのは堪えるよねぇ。懐いてたならその分だけさ。一方的にってところが性質が悪い。おたくのおひぃさんも、どいつもこいつも、責任とれってやつだ」
諦めにも幸いにも似た顔で笑う男に、カルナは全くだと思った。
◆◇◆
捨てられた犬のようで見ていられない。あれは責任をもって最後まで世話するべき。ローマもそう言っている。円卓も満場一致。
待って欲しい。カルナは犬ではないし、ジナコは彼の世話をした記憶はない。どちらかと言わずとも迷惑をかけ、……もとい世話をされる側の人間だ。
「ですが、貴女は手懐けた」
「はい……?」
「一度、人の手から餌を食べた獣はその味を忘れない。たとえその人間が二度と訪れずとも、待ち続ける。そういうものです。たとえ飢えて死ぬとしても」
純朴な口調で結構なことを宣ったバーサーカーに、ジナコは開いた口が塞がらない。
本日のお仕事である周回を終え、彼女は自分にご褒美を与えていた。食べようとしていたプリンはポトリとスプーンから落ちた。
「いやいやいや、飢えて死ぬってジュナオ君は何言ってるのカナー?」
「あの男に飢餓を教え込んだのは貴女では?」
澄んだ目をしてとんだ言いがかりである。あと言い方。
ジナコは、カルナと少し距離を置いただけだ。マスターにも許可をもらっている。カルナも承諾したと聞いた。彼女には、カルナと離れたい事情があった。
最近、ジナコはカルナを可愛いと思う瞬間に出くわす。格好良いでも尊いでもなく、可愛い。
飴を転がしながら「甘いな」と何度も同じことを言う姿であるとか、頭を肘置きがわりにされた時に、フスンと鼻から息を抜くところであるとか、人の膝の上でちょっとやそっとじゃ起きないほど寝るところだとか、寝言でジナコを呼ぶところだとか。
(あと、あれが……)
ジナコに穴熊を決め込ませた決定打。
見たことがない訳ではなかった。何がといえば、笑う顔。誰のといえば、カルナのである。
カルナは意外と良く笑う。ジナコが自分で部屋から出てきただけでも笑う。誰かに引っ張り出されていても笑う。
「なに笑ってんスかぁ!」
とそれに気づいたジナコが叫ぶまでがお約束。
人の醜態を見て笑うなと声を大にして言いたいが、相手はカルナである。彼はジナコが元気だと嬉しいらしい。本人が言っていた。お前が活動していると、得も言われぬ感慨を覚えると。とりあえず言い方。
ただし、その笑みはわかりづらい。口端を持ち上げたり、目を細めたり。フフッやクスッよりも小さい単位。腹を抱える、あるいは大口を開けて笑う姿は未確認。面白いや楽しいの最大出力が「フッ」。カルナの表情筋は全く活動的ではないのだった。
それを惜しいと思っていた。表情は時に言葉よりも雄弁だ。今にして思えば、命知らずというより他はない。
(……寝惚けてたんだろうけど)
ジナコはカルナに膝を貸す。字面にすると意味がわからないが、貸せば寝るので貸した。
(だってカルナさんだし、カルナさんだし、カルナさんだし?)
カルナは良く働いた。頼まれれば断らず、いつでも全力を尽くした。すごいと思うが、そういうカルナはジナコの懸念事項だった。カルナは無理をしても辛いとは言わない。前例は覚えがあり過ぎた。
心配というには曖昧な気がかり。それがジナコが膝を貸す理由だ。微々たるものだが、ないよりはマシ。そんなジナコの膝の上で、カルナは笑ったのだ。
いい夢を見たのか。でもサーヴァントは夢を見ないと聞いている。薄らと開いた目は、ジナコだけを見ていた。
『ジナコだ』
そこに万感があるような。無防備に笑うカルナをジナコは「可愛い」と思った。
ポヤッとしたジナコだが、次には慄いた。
女は男を可愛いと思ったら、落ちたも同じだという。何にといえば、恋に。
古今東西の文献を読み漁り、有象無象をググり、有識者に意見を伺い、行き当たった結論は一般的には間違いではないのだろう。ショタならともかく、相手は成人した男だ。可愛いと思うのは、特段の感情があると見て良い。
だが、ジナコがカルナに寄せる感情はそういうものではない。今はカルナに会えて、少々浮かれているだけだ。つまりカルナが可愛く見えるのは、多幸感による情緒バグ。
「それもうあれじゃね? バグ期間長過ぎだし、多幸って時点で語るに落ちてるも同然だとあたしちゃんは思うわけだが、そこは言わぬが花的な? ふふーん、上げて落としてやるなら徹底的にがインドの手管。カーマスートラとみたり。本家カマちよ的にあたしちゃんの見解どう?」
「どうもこうも、私は関係ありませんし風評被害です。まぁ、堕ちる場所は同じなのに無駄な足掻きご苦労様とは思いますけど」
「わかる」
力強くアーチャーが頷く。その「わかる」はジナコにはわからないのだが。
そう嘯けたジナコは、過去になった。
「もう良いのか」
「良くないけど、良しにせざるを得ない」
そういう状況にジナコは追い込まれた。そういうことにしておく。だいたい、四方八方から流れてくる情報がおかし過ぎる。
曰く、物の哀れしかない。曰く、次に顔を会わせた時の反動が未知数。曰く、お気に入りの毛布を取り上げられた犬の方がマシな顔をしている。
「みんな、カルナさんがしょんぼりの擬人化みたいになってるって言う」
マスターには「頑張ってね」と激励された。その励ましの意味をジナコは考えることを止めた。
(こっちから行かないと来ないとか、最初から容赦がなかった)
てっきり問い詰められると思っていたのに、カルナは大人しいものだった。無言で手招くジナコと、それに近づいて行くカルナが周囲からどう見えたのかについては伏せる。
「しょんぼりの擬人化」
「ボク的には人間不信に見えるけど」
「それだけの仕打ちを受けたんだ」
「仕打ちって」
ジナコが人でなしのようではないか。
「似たようなものだ。満たされることを知った上での餓えは堪える。もう戻って来ないのではないかと、悪いことも考える。……お前にその意図がなかったことは承知している。だが責任を取れとも思った」
「責任ってそれ、ボクのセリフなんだけど」
「――オレが何かしたのか」
「食いつきが強い! そういう訳じゃなくて、カルナさんは悪くないけど悪いような……?」
カルナはジナコを沈んだ目で見る。思考が根暗に振り切れた気配がした。
「えっと、膝枕する?」
「懐けば、次に取り上げられた時が辛い」
瀕死でも何も言ってくれない男が、可愛いことを言う。
「何故、笑う」
「どうしてっスかね」
どうしてジナコがいないと辛いのか。訊ねることはまだ出来ない。初めましてのことなのだ。
だけれど、これから、もっとずっと、ジナコはカルナを可愛いと思うだろう。
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