賞味期限は切れない
2021年9月から2022年10月までのWEB再録集「PickOut50」収録のカルジナです。現代設定。
桃栗三年、柿八年。柚子は十八年で蜜柑は二十年。真偽のほどはさておき、それが実をつけるまでの歳月とされる。では、カカオは?
ジナコは知らない。ググったこともない。
「ほんとに行くとか、何考えてんのよ」
「貴女のことでしょう。逃げ回る相手からようやく条件を引き出した。それがどんなに荒唐無稽であれ、果たせば与えられる。あの男が食らいつかぬわけがない」
「真に受けるとは思わなかった」
ぶつくさと言うジナコは、一路にとある人物を迎えに行く。カルナという、去年まで彼女の同居人だった男だ。
同居人以前は職場の後輩で、さらにそれ以前は周回遅れで始まった大学生活の同輩で、その前は引きこもる彼女の介護人だった。それより前は、年の離れた幼馴染というのが適当だろう。
カルナは、家族よりも長くジナコの人生に介在していた。その男がいなくなった。理由は後から知った。「バカじゃないの!?」というのが、当の本人から連絡を受けた彼女の第一声だった。
「確かに言ったっスよ? カルナさんが原材料全部用意したチョコなら受け取るって言った! でも、だからって、カカオ育てに国境越えると思う!?」
「では行ってくる」と告げた相手に「いてらー」と見送りの挨拶にもならないことを言ったのが一年前。その時の彼女は、視線も上げずにネット動画を見ていた。誰がボディバッグ一つで渡航すると思うものか。ジナコは近所のスーパーにでも行ったのだと思っていた。
「貴女にとっては冗談であった。それも承知の上でしょう。その上で、あれは退路を断ってきた。餌を与える相手を見誤りましたね」
「あーあーあー、聞こえないっス」
冗談ではあったのだ。苦し紛れの、同居人の次に待つものを先延ばしにしようとした。
あの時のジナコは踏ん切りがつかなかった。先を越されてなるものかという意地もあったのかもしれない。後は捻くれた照れ隠し。
「……間が悪いんスよね。ボクもカルナさんも」
ジナコは胸の前に抱えたリュックを持ち直した。中身は軽い。貴重品は同行者が携帯していた。曰く、その方が危険が少ない。女であり、見るからに旅慣れないジナコは鴨葱なのだった。同行者が何だかんだと言いつつ、彼女についてきた理由である。要介護生命体の面目躍如だ。
(いい加減にしろって意味もあるんだろうけど)
今、ジナコは迎えを待っている。カルナがカカオを育てるために頼った農園は、良く言えば長閑。悪く言えば辺鄙なところにあった。自家用車がなければ辿り着けない。バスの終点地で、カルナには連絡をした。長い沈黙のあと「すぐに行く」。それだけを確定させて終わった通話は、悪くはなかった。
強い日差しを遮るための帽子の下で、ジナコは迎えが来るであろう道を見ている。乾いた茶色の地面には、今は人影ひとつない。見えるのはジナコと同行者の影だけだった。
「ところで」
「なんスか」
「私が同行者である理由は?」
「当てつけ。という訳で、はい、アルジュナ君」
「……この手の意味は?」
「繋げってことだけど?」
「――正気ですか?」
「どうっスかね。正気だったら、こんなとこまで来てない。ボクも、カルナさんも」
フフンとふてぶてしく笑ったジナコに、同行者は「呆れた」としか言いようのない顔をした。
「貴女に何かあるよりはマシですが、その役目は他に投げてもらいたかった」
「前金はあげたじゃない。一粒三千円の高級チョコ」
正確には押しつけただが、受け取った以上は契約成立だろう。
彼女は掴まえた手に力を込める。アルジュナは実に嫌そうな顔をしたが、振りほどくことはしなかった。
諦めたのか、呆れたのか、はたまた異父兄の鼻を明かしてやりたいのか。ジナコにも性の悪いことをしている自覚はあった。
遠くに土煙が見える。でこぼこの道をバンが飛び跳ねた。カルナからジナコたちは見えるだろうか?
(カルナさんが悪い。押してダメなら引いてみろにも限度がある)
カルナも少しは焦ればいい。一方的に遠く離れた所から連絡を送って来て、ジナコが何も思わなかったと思うのか。知らない名前に、見知らぬ景色に、共有できない日々に、どんな気持ちになったか。
「去年、渡せば良かったんだ」
細められた目が、ジナコの抱えたリュックを見る。中にあるのは一年前、彼女がカルナに無理難題を突き付けた理由だった。
「良いんスよ。賞味期限、切れてないし」
「そうですね。切れることなどないでしょう」
可笑しなことを話している。市販品ならともかく、一年前の手作りチョコだ。食べればどうなるかなんて、火を見るより明らか。それでも。
目の前で、一際に土煙が巻き上がる。
「――ジナコ」
震える声に胸が鳴る。
ほら、賞味期限は切れていない。
0コメント