色染める
2021年9月から2022年10月までのWEB再録集「PickOut50」収録のカルジナです。
美しい。そう思う瞬間は今までもあった。
ジナコはその一時を大切に覚えていようとして、でも自分の記憶の不確かさにも気づいていた。どんなに素晴らしい一瞬も、ジナコは忘れてしまうだろう。それは神霊の疑似サーヴァントという不安定さよりも、彼女自身の凡庸さによる忘却だった。
だから、少しでも強く鮮やかに覚えているために――そう、理由をつけるのはもっともらしくて簡単だった。自己憐憫にもちょうどいい。だけれど、ジナコは知っているのだ。今の自分の行動は、そういうコトではなかった。
「……そんなにビックリしなくてもいいじゃない」
「驚きもする」
動揺が伝わってくる相手に、ジナコはそれもそうかと思う。指に白い髪が触れている。ジナコが自分から手を伸ばしたのだ。
「見苦しかったか?」
「どうしてそうなる」
「お前がこうする理由が、他に思い当たらない」
鏡は見てきたのだが、と足す男にジナコは笑った。この男にも、そういうことを気にする時はあるらしい。
「ハズレ。これは、カルナさんの髪が白いからっスよ」
言葉が足りていないな、とジナコは思ったが、それ以上どう言葉にすればいいのかもわからなかった。
(いつか、こうなる気はしてたけど)
何せ、ジナコは迂闊な女であるので。不本意だが自覚はあった。
約束をするわけではなかったが、ジナコはシミュレーターでカルナに会うことがあった。一度会ったなら、二度三度と、ジナコはその邂逅を偶然として受け入れた。
環境設定は気分次第で、今回はインド異聞帯を再現したものだった。時刻は薄明。夜明けを待つ空は、天は真夜中より暗くもあったし、地は真昼より明るくもあった。
「……お前は、白髪ならば誰でも同じようにするのか?」
ムッとした面にジナコは溜息も出ない。
「カルナさんの中でどういう判定が出たのか知らないけど、他の人にはないっスよ。同じなのかもしれないけど、気づかないし」
「気づかない」
繰り返すカルナに、ジナコは一言足すことにした。
「カルナさん見てるとわかるんスよ。今日の天気とか、そういうの」
「オレに、天候で変化するものはないが」
「あるんだなー、これが」
ジナコはその白い髪を引っぱった。そう強く引いたわけではないのに、カルナがコテリと首を傾げる。戯れるような姿が可笑しくて、ジナコはフスリと笑った。
「癖が出るということか?」
「んー、そういう時もあるけど、今はそうじゃないっスね。もうすぐ、朝だなってわかる。カルナさんは、髪が白いから」
だからなのだろう。カルナは色が少ないから、空や光や、そういう本来は届かないはずの色を身に映した。今も同じ。髪が薄明に色づいている。
「そうなのか?」
「ボクは嘘、吐いてない」
「あぁ、そうだな」
「だから、こうなった」
何がだからで、こうなのか、支離滅裂だ。そうなのか、とまたカルナが繰り返す。ジナコには、もう言えることがない。これ以上の感情を掬い上げることは、彼女には難しかった。これから出来るようになるのかもわからない。
唇をもごつかせる彼女に、カルナは眩しいものを見るように目を細めた。指先で、明け方に色づく髪が揺れている。神様みたいで、実際、カルナは半神半人だった。ジナコはカルナを神様だと思ったことはないけれど、彼に向ける感情で一番近いものは信仰だった。
昨日までのジナコならば、美しいと、そう目蓋に閉じ込めるだけで手を伸ばすまではしなかっただろうと思う。自分には不相応だし、そういうキャラじゃないと嘯くことも出来た。それなのに、今日は見ているだけではダメになった。
(カルナさんが悪いんスよ。こんな、当たり前みたいにいるから)
ジナコの隣で、微笑むものだから。
気づけばジナコはカルナに手を伸ばしていた。少しの躊躇いもなかった。カルナの驚いた顔を見て、ようやく自分のしたことに気づいたほどだった。まるで、そうなるように誘い出された心地だ。
「オレは、この髪が少し苦手だった。髪だけではないが……今は、色のない髪で良かったと思う。初めて、そう思った」
囁く声は柔らかかった。いつもなら、聞こえなかっただろう。ジナコはその髪に手を伸ばしていたから、カルナは自然と腰を折るようになっていた。
「お前が好ましいと思う時だけでかまわない。こうして、触れてくれないか」
「それ、たぶんカルナさんが思うより高難易度」
「たまにはあるのだろう?」
彼女に問う眼に強さはない。
誘い出されたのはジナコの勝手だ。カルナに彼女の行動は予想外だった。おそらくだが、彼の中では自分が触れたくなる――そういう存在になる可能性はないのだろう。ならばまだ少し、猶予はあるはずだ。
「そうっスね。今日みたいに、触りたいって思ったらあるかも」
ふてぶてしく彼女は虚言を口にする。カルナは「それでかまわない」と頷いた。
その表情は暗かった。次はないと思っているに違いなかった。ジナコの性格を考えれば、それも大いにアリだろう。
だけれど、彼女はその白を染める方法を知ってしまった。たとえば今、その白い頬に触れたなら。
(たまに、なんて無理だ)
猶予は夜明けまでもないかもしれない。今も手を伸ばしたなら、届いてしまう。
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