最強装備のあとひとつ
「The light of my life」発行本の再録です。現代設定のカルジナが、クリスマスデートの待ち合わせをするハッピー本。
それは、いつでも終わりにできることだった。
だけれど止める理由がなかったので、ジナコはいつもと同じ言葉を口にした。
「カルナさん、決まったら教えといて」
色々と省いた問いかけは、傍から聞けば何のことかわからないだろう。だが、これはいつものことだ。彼女の前に立った男は、すぐに首肯した。
「承知した。だがその前にジナコよ。お前は昼に起き出して来てより、コタツから三十センチと動いていないように思える」
藪から棒に何を言い出すのか。
ひと目には何を考えているのかさっぱりわからない男の脈絡のなさは今に始まったことではないが、とりあえず失礼なことを言っていることだけは確かである。
ジナコは胡乱な目を白皙の美男子に向けた。彼女に相対するのは、輝かんばかりの御顔である。信じ難いほど美形。この男ならば満天の星空も百万ドルの夜景も裸足で逃げ出すだろう。
あいにくここはジナコの家で、背景画像は生活感あふれる代物であるのだが。商店街でカルナが貰ってきた商工会カレンダーが良い味わいを出している。なお、来年分もカルナが貰って来ている。今年はもうめくるページがないので。
「三十センチは言い過ぎ。もう少し動いてるっス」
「言い過ぎと言うならば我が身を顧みるといい。お前はオレが立つたびに用事を言いつける。ジナコ、一日一万歩とは言わない。まずは百歩だ」
「さすがカルナさん。ジナコさんのポテンシャルを考え抜いたその目標値の低さが、一周回って高度な煽りになってる」
動かないことに定評のあるジナコだが、さすがに百歩は歩いている。ベッドとコタツと生理現象を合わせれば、百には届くはずだ。おそらくだが。
カルナが定期でジナコの足をモチモチするのは、エコノミー的あれを心配してだとは気づいている。介護が手厚い。だが当人が何も言わないので、ジナコは素知らぬふりをしている。おもむろに人の足を鷲掴むのはどうかとは思っている。
「では千歩」
「冬のジナコさんはお布団から出ないで生きていきたい派。もはやコタツにいるのがエライ」
千歩がどれほどの距離かは別として、動くのは断固拒否である。ジナコは冬は引きこもると決めているのだ。春夏秋冬、変わらぬ生態だろうとは、彼女を良く知る男の言である。
「……そうだな。布団とコタツの往復であれ、お前が自らの足で部屋から出て来る。その成長は称賛に値する」
「そうそう、だからジナコさんはコタツから出なくても許されるのです。というわけでカルナさん、その手に持ってるやつ早くプリーズ」
パタパタとコタツの天板を叩いて訴えるジナコに、カルナは苦い顔をした。不穏な気配だが、これで会話を楽しんでいるのだから、カルナの表情筋は誤解を生むプロだった。
「次はない」
「そうっスね。次は違うの頼む」
「ジナコ、そういう話ではないぞ」
「わかってるけど、じゃあ何の話とはボクは聞かないっスよ?」
ジナコはコタツにすっぽり肩まで埋もれた。動く予定も出るつもりもないという強い意志の表れである。
「ウォーミングアップは重要だ。急な運動は体に悪い」
「マジで何の話」
思わぬ方向に話が飛んだ。単純にコタツから出ないジナコを心配して、ということではないのか。
「欲しいものは決まっている」
「――そこに話が繋がるんだ」
「繋がる。今年はお前に動いてもらう」
カルナが言葉を切ると同時に、コタツの上にマグカップが現れる。
丸みを帯びた白地に太陽のマークのついたそれはジナコ用のマグで、中身はホットココアだった。甘い匂いが鼻を擽る。
コタツでいただく甘いは至福。もちろんしょっぱいも良い。ココアはカルナがキッチンに立ったついでに、作って来てと頼んだ。ジナコは動かないことに余念がないのだ。
(今年は物じゃなくて、事消費。旅行とか?)
動かないのがジナコなら、ジッとしていないのがカルナである。物静かなのは見た目だけ。春夏秋冬、北に南に動き回っている。もっとも、カルナの場合は人に頼まれてというパターンが大半で、一方的に損をしていることも珍しくない。
(頼まれたら断らないって、頑固なんスよね)
止めておけと言ってもまず聞かない。底抜けの善人のようで、こうと決めたらテコでも動かないタイプだ。
結果がどうであれ、カルナは後悔をしない。当人が苦にしていないならば良いのだろう。
たまにソファに突っ伏して動かない姿を見ると思うところはあるが、カルナの人生はカルナのもので、もどかしく思うのもジナコの勝手だ。
(まぁ、一番どうかと思われてるのはボクだけど)
ジナコはマグカップを両手に包むと、立ち上る湯気に息を吹きかけた。薄らと眼鏡が曇る。室温は十分に保たれているが、それでも冬であることに変わりはない。
彼女の向かい、ではなく隣に腰を下ろしたカルナもマグカップを手にしている。黒地に赤いリボンのマグを使うのは、カルナ一人だ。ここはジナコの家であるのだが、意外とそういうものがある。
いつでも終わりにできることではあった。ジナコとカルナの関係は、姉のような弟のようなもの。生家が隣同士で、幼い頃は本当に姉弟のようだった。
今はジナコは生家を離れ、カルナも一人で暮らしている。互い大人になった。一日の大半をカルナは仕事に費やしている。
ジナコは社会人に成り損ねたので、ほぼ毎日、家でダラダラしている。時々は、お節介で奇特な人たちに構われて仕事のようなこともしている。ジナコとカルナの人生は、重なるところを探す方が難しい。
疎遠になるどころか相手を忘れてもおかしくないが、今においてもジナコはカルナの姉のようなもので、カルナは弟のようなものだった。ちなみに、関係性としては手のかかる姉と世話焼きの弟。カルナは週末にジナコの世話をする。これは何かの比喩ではなく、純然たる事実である。
ジナコは放っておくと一か月は余裕で家から出ず、あっという間もなく人の生存に不適格な空間を形成する。
生活力の有無は人生の満足値を大きく左右する。しかし、ジナコの生活力に成長の兆しは見られない。目先の怠惰を愛するのがジナコという女だった。
今でも洗濯をすればタオルはごわごわになる。掃除機のゴミの出し方は不明。料理はインスタントオンリー。風呂掃除を億劫がってシャワーで済まそうとし、時にはそれすら面倒がる。
(ダメなのは間違いなくボクだけど、カルナさんも悪い、はず。プロに頼むって言ったら、この世の終わりみたいな顔するし)
カルナは毎週末、姉のような女の家の鍵を開ける。目的は世話もとい家事。もっと有意義な休日の使い方は絶対にあると思うのだが、カルナは「問題ない」の一点突破をする。
ジナコは「良く続いているな」と自分たちの関係を思っている。だけれど、止める理由はなかった。カルナの意思を変えるのは至難であるし、まず折れない。都合が悪くなると黙る悪癖もあった。その悪い癖に一番甘えているのが、どこの誰とは言うまい。
「動くって、具体的には?」
マグカップの中身を減らしつつ、ジナコは尋ねた。同じくマグカップを傾けるカルナは「お前が良いならば、だが」とこちらにイエスしかないことを忘れたように、訥々と切り出す。
ジナコは甘いココアを飲み下すと、渋い顔をした。
「良いも悪いも、ボクにできることなんでしょ」
「できることだ。不安はあるが、どうにかする」
「そうですかー。それで、カルナさんは何が欲しいの? クリスマスプレゼント」
カレンダーは今年の最後の一枚。十二月。一週間後はクリスマスイブ。
毎年、ジナコはカルナにクリスマスプレゼントを贈る。彼が欲しいと言ったものを用意した。一年に一度だけ。
カルナがジナコに与えるものには、到底釣り合わない。一年の間、彼はジナコに色々なものを贈る。
細かいものでは今使っているマグカップがそうであるし、もっと言えば、ココアを買ってきたのもカルナだ。
ジナコが好んでいたと、スーパーでパッケージを見て思い出したらしい。売っていたぞ、とドヤ顔をする男にジナコは笑うしかなかった。
カルナは本当に良くジナコに贈るのだ。そういうクセがあるのかもしれない。物にせよ、時間にせよ。
こうして他愛ないことを話すコトであるとか、小さな失敗や成功を笑い合える日常であるとか、そういうものを溢れるように贈る。
ジナコはカルナを悪くないと思っている。愛着や手離し難さも覚えている。一年に一度くらい、贈り返したいと思うのはおかしなことではないはずだ。手がかかっても、ジナコは姉のようなもの。年下には、黙って甘やかされる義務がある。
かれこれ両手の指を折って余る過去に、ジナコはカルナに言いつけた。彼はそれを律儀に守っている。ジナコはそれなりだ。
コトリとカルナがマグカップを置いた。中身は空になっていた。ジナコは半分は残っている。普段はあまり感じないが、カルナは食べるのが早い。
「オレは、デートを望む」
「でーと」
ジナコは繰り返した。カルナはコクリと頷いた。
「えぇっと、デートってあのデート?」
「お前の想定するデートが如何なるものか、オレにはわからないが、オレが望むのはお前と連れ立ち街を歩くものだ」
「クリスマスでなくても良くない? 絶対、混むっスよ」
ジナコはオタクの祭典でもない限り、人混みには挑まない。連れ立つのがカルナとなればなおのことだ。絶世という言葉も生温い男は、それは人目を惹く。
デートと銘打つ限りには、行く先は近所の商店街や公園ではあるまい。宝石箱のようなイルミネーションを背景にしたカルナ。大変なことになるのは明白だ。
「クリスマスが良いんだ」
とつりとカルナが重ねる。もう少しジナコが渋れば、カルナは欲しいものを変えるだろう。そういうことは、今までもあったのだ。たとえば、――そう、たとえば。
ジナコは、白いマグを持つ両手に目を眇めた。
「しょうがないっスねぇ。カルナさんが良いって言うなら、しかたない。今年はクリスマスデートをプレゼントするっス!」
一年に一度のことだ。鷹揚に頷くのが年上というもの。
了承したジナコに、カルナが目に見えてに安堵する。クリスマスプレゼントにおいて、ジナコがノーと言うことは滅多にないのだが、信用がない。
「プランはボクが決める感じ?」
「いや、オレにエスコートさせて欲しい」
「エスコート」
人生で初めての単語を聞いた気がする。二次元ではあるが、よもや現実で耳にする日が来るとは。
カルナも少し笑った。「はじめて使った」と、当然と言えば納得のことを言う。そうなんだ、とジナコも笑った。
「オレはお前が健康であれば言うことはない。他は不要だ」
「はいはい、風邪ひかないように気をつけるっスよ」
カルナのプランでは、外で待ち合わせをするとのこと。待ち合わせ場所は駅前広場のクリスマスツリー。
エスコートならば迎えにくるのが定番では? と二次元の知識が喉元まで出かかったが、カルナがそうしたいというならばジナコは何も言うまい。
カルナが何かをしようと思った時、その意志は懐柔の仕方が見つからないほど強固だ。万に一つも覆らない。だが譲れる間は「ほんとに!?」と叫びたくなる次元で相手を優先する。
「ここのツリーは見事だった。電飾が白と金色だ。クリスマスマーケットも近くにある。露店には、お前の好む甘味が多く取り揃えられている」
「ふぅん、良いっスね。こういう季節ものもたまにはアリかも。今年のオーナメント、まだ買ってないし」
「今年は、ここで買おうと思う」
「ボクもそうする」
今のところジナコの家にクリスマスの気配は皆無だが、ツリーはカルナが用意するだろう。山からモミの木を伐り出す本格派だ。
役目を終えたツリーは、年の終わりには薪になる。一年かけて乾く薪は、保管の一途であるのだが。お互い、暖炉のある家には住んでいないのだ。昔は、ジナコが生家を出る前は暖かく燃える火があった。色褪せた記憶だ。
彼女には家族がいない。年が両手の指を往復する前に天涯孤独になった。厳冬の季節だった。ジナコは四季の中で冬が一等に嫌いになった。
カルナの行動が、ひとりぼっちのジナコを憐れんでというならば、嗤って拒絶することもできた。慰めなど惨めなだけだ。
(好きでやってるんスよねぇ。モミの木を運んでくる時も、薪にする時も、生き生きしている)
全身で楽しいを見せる相手の前では、捻くれる方が難しい。
ツリーに飾るオーナメントは、毎年買い足している。ケーキとチキンの予定はないが、今年のプレゼントはデートだ。食べる機会はあるだろう。
待ち合わせは十九時。今年のクリスマスイブは金曜だった。カルナは仕事で、その後にプレゼントを所望する予定らしい。
大丈夫だろうか? ジナコはカルナと付き合いが長い。想定できることは片手では足りない。
「二時間ぐらい余裕みとく」
ジナコの提案に、カルナは僅かに顎を引いた。
「残業はしない。是が非でも定時で上がる」
「そこは心配してない」
先約はジナコだ。頼まれれば断らないと思われているカルナだが、無理な時は意外とはっきりと無理と言う。だが、世には間の悪いことがあるのだ。
「あったかくしてくっスよ」
さしあたっては冬の装備だ。クローゼットの中身に不安はあるが、コートはあったはずだ。
(服もそうだけど、それ以外もわからん)
たとえばメイク用品であるとか、アクセサリーであるとか。
いつものゆるゆるカーディガンとだるだるタンクトップとパツパツジーンズというわけにはいくまい。さしものジナコも、モサモサスタイルでクリスマスにカルナと連れ立つほど心は干からびていない。焼け石に水でも手は打つとも。
すっかり空になったマグカップに、ジナコは「しかたない」と本日、幾度目とも知れない言い訳をつける。
「ジナコ、どうした。お前が自らコタツから出るなど」
「ココアのおかわり作ってくるの。なんスか、その物言いたげな顔は」
「……オレがいるのにか」
「ちょっ、何めんどくさい彼女みたいなこと言ってんスか。まずは百歩からって言ったの、カルナさんっスよ?」
ピッとジナコはその鼻先に指を突きつけた。
今年のプレゼントはデートだ。予定はクリスマスマーケット。人混みは約束されている。ウォーミングアップの効果は別として、準備して困ることはない。実を言わずとも、コタツが出てからジナコは外出していない。
物のついでにと黒のマグカップも持つと、いよいよカルナは瞠目した。「明日は雪か」ではない。仮に降っても、それはジナコのせいではない。十二月だ。雪も降る。
「ついでだから、カルナさんのも入れてきてあげる」
「大丈夫か」
「お気遣いどうもだけど、インスタントココアで大丈夫も何もないでしょ」
作るのは簡単。カップに粉を入れてお湯を注いでかき混ぜる。以上。
「手順は案じていない。だが、お前は度を越えて甘いココアを作る」
「そっちかい!」
流れるようにジナコはツッコミを入れた。カルナの心配はジナコがドジることではなく、カロリーだった。
ジナコの作るココアは甘い。それは認めよう。初恋の味で有名な飲料によろしく、彼女は濃いめが好きなのだ。大人の特権である。
「カルナさん、美味しいのコツは適量をちょっとオーバーすることなんスよ。って、はいそこ! ちょっとの部分に怪訝な顔しない!! 文句をいう人には作ってあげないっス!」
「文句はないが、ココアの練り物のような飲料には小言は言いたい」
「ココアの練り物は言い過ぎ」
実証として、ジナコはココアを作った。カルナは「飲料の体は保っているな」と、どこに感心しているのだということをのたまった。明日は吹雪やもしれんと、嬉しそうに不穏な冗談まで言うので、ジナコは無言でその脇腹を突っついた。小さなコトで幸せになる男だ。
(大掃除しようかな。あとは料理したり)
いつもは頼まれてもしないことをすれば、季節外れの夏も来るかもしれない。
今年のプレゼントはデートだ。
クリスマスに、雪が降ったら困る。
◇◇◇
ジナコは冬が嫌いである。
彼女の愛するものは一度、厳冬の季節になくなってしまった。目の前で、何が起きたかもわからない間に。
それは不運な事故であった。アイスバーンに横転した車は、そこにいただけの両親を押し潰した。
愛する人たちがいなくなった時を、ジナコは今でも夢に見る。これからも忘れることはないだろう。
誰も今日が最後だとは教えてくれなかった。しかたがない。人生とはそういうものだ。紆余曲折あったが、もう厭だと擲つには、ジナコの人生にはしていないことが多過ぎた。無為にするのは馬鹿馬鹿しい。そんなことを思うようになったのは、いつが初めであったのか。
言葉の拙すぎる年下の男に「何のために生きている」と言われた時かも知れず、まったく違う時であったかもしれない。
何にせよ、いつか終わる時まではジナコはできることはしてみようと思っている。
それがジナコの好きなことであれば、いうことはない。
「こうなる気はしてた。だってボクとカルナさんっスからね。予定は未定が決定で確定」
やれやれとジナコは溜息を吐いた。久しぶりにつけた腕時計の針は、二十時を指している。目の前には煌びやかなイルミネーションと大きなツリー。ただし、ジナコの吐息は白くない。
彼女はカフェにいた。暖かい屋内で、期間限定のホットチョコレートを飲んでいる。待ち人がノット来たりてなので。
「今警察って、さすがカルナさんっスね」
ホワイトクリスマスは無事見送りとなった金曜日。カルナは約束の時間にはやって来られず、ジナコは待ち合わせ延長戦に突入していた。
定時に仕事を終えても、トラブルに巻き込まれるのがカルナという男なのだ。今回は容疑者扱いでないだけ、運が良いと言うべきか。本人は自らを幸運な男だと言うが、カルナの運の悪さは目を覆いたくなるものがある。
謝罪と断りの電話にノーを返したのはジナコだ。クリスマスプレゼントは一度決めたら変更不可。ジナコが今日決めたルールだ。カルナが本当に帰って欲しいならそれもアリだが、黙ってしまったので、それはつまりそういうコトだろう。
「やっぱ準備はしておくに限るっスね~。初期装備は大事」
こうなる予感はしていたので、ジナコは事前にカフェのリサーチと予約をしていた。この時期は、どこもかしこも人で溢れている。無策で外に出るほど、ジナコは命知らずではない。
迂闊が服を着て歩いていると誰と言わず嘆息されることの多いジナコだが、意外とやればできるのだ。
(でもアウェー感は拭えない)
クリスマスイブに一人でカフェにいる女というのは、痛ましいものと扱われる。実際、そういう声も聞こえてくる。
無責任なものである。こちらは待ち人が警察にいるのだ。ひったくりを捕まえた結果、自分がひったくり犯と間違われる。どうしてそうなる。
幸いというべきか、カルナが誤解を受けるのは今に始まったことではなく、警察署にはカルナを知っている人間が多い。「またアンタですか」と、カルナに気づいた刑事は溜息を吐いたとか何とか。ひったくり犯は被害者として事情を聞かれていた人間だというのだから、警察の面子は阿鼻叫喚の始末書案件である。ドウシテソウナッタ、とはカルナ以外の全員が思ったであろう。
(カルナさんは『いつものことだ』で、謝罪もいらないって言ったらしいけど、警察はそうはいかないんスよね。カルナさんだから万一もないけど、あとから文句つけられたら困るし)
諸々の手続きで、カルナはいまだ警察署にいる。ジナコは定期で居心地に悪い視線を感じながら、ホットチョコレートを飲んでいる。艶のあるダークブラウンは、オレンジピールが良い味わいだ。自宅で作れるキットも購入した。
(おひとりさまカワイソ~とか、余計なお世話っスよ)
他人の事情など放っておけという話だが、世間とは往々にして人を貶めることに余念がない。クリスマスは独りでないのが幸せの証明。それ以外を爪弾くのは愉しいのだ。実に品性のない愉悦だが、ジナコも似たようなものであるので人のことは言えない。
「あと一時間で終わると良いけど」
カフェの予約は二時間だ。クリスマスイブに延長は不可だろう。店の外には順番待ちの列もできている。寒空の下でも苦もなく並ぶのは、待つ時間も楽しいからだろうか。
窓ガラスに映る女は、退屈そうな顔をしている。
いつもより少しだけ大人しいココアブラウンは、友人たちの手による。肌が滑らかなのも、唇に艶があるのも以下略。
コスプレも嗜むオタ友の腕を侮ってはならない。ジナコでも見られるものに仕上がった。ただ――。
(あれは偶々のはず)
メイクアップに必要なものはジナコの家にあった。彼女が購入したものではなく、いつだか、よくよく記憶を掘り起こしてみれば、去年カルナが贈ってきたものだった。
クリスマスコフレの限定キット。宝箱のようなコスメボックスには、ベースメイクからポイントメイクまで一式揃っていた。
手渡されたジナコは「どうしろと?」と首を傾げたような気がするのだが、カルナは買えたから買ったと、良くわからない理由で押し切ってきた。オタ友は「わかる」と力強く頷いてきた。その頷きの意味をジナコは保留中だ。
「趣味と言えば趣味なんだろうけどさ」
カルナはジナコに贈り物をする。デートに必要なものが揃うぐらいには。「柔らかいものが好きなんですね」とは、もう一人の友人の言である。ジナコは自分の姿を見直した。
ボルドーのニットワンピースはケーブル編みで、余裕のあるラインは見た目通りに柔らかい。着用したところ、友人たちに「一回ムギュッとさせて!」と思わぬ吸引力を発揮した。暖かいワンピースは、カルナ発ジナコ着のプレゼントである。
ブラックのコートもブーツも、アイボリーのハンドバッグもゴールドの腕時計も同じ。手がかかっていないのは、ブラウンのタイツとインナーのみという驚きの仕上がり。
開かずの扉と化していたクローゼットを開き、コーディネイトなるものを考えたらばこうなったのだ。他意はない。カルナにも、おそらくない。
「……なぁんも言わないっスからね」
ジナコは温まった指を組むと目を細めた。白く丸く、彩のない指だった。
クリスマスイブに一人でカフェにいると、面倒なことがある。憐れみを擬した嘲弄もそうであるし、中には本当に気の迷いを起こす者もいる。
ジナコは気の強い性質ではない。大手を振って臆病だと言える。これがカルナへのクリスマスプレゼントでなければ、とっくに家に引きこもっている。そも、雪の降る季節に外に出るものか。
(あの人、わかってるんスかね。ボクがプレゼントするの一人だって)
ジナコにとって、カルナは弟のようなものだ。好きや愛してるの前に、大切だ。その人生の幸いを願っている。心から。
ジナコは嘘つきだが、この想いは本当だ。少ないけれど、言葉にして伝えたこともある。
カルナもジナコを大切だと言う。彼のジナコを形容する言葉は多岐に渡るが、人生の光に彼女を譬えるのは後にも先にも一人だろう。ただ、その心をカルナは語らない。
今年のプレゼントも同じ。欲しいのがデートである理由であるとか、待ち合わせをしたい意味であるとか、約束の時間を過ぎてもジナコに待っていて欲しい気持ちであるとか。本当に何も言わない。黙ってしまう。
しかたがない。カルナはそういう人だ。
言いたいことを止めるから誤解を生む。ジナコのアドバイスを真に受けた男は、最後まで言えるよう努めてはいるようなのだが、人の性格はそうそう変わらない。ジナコに毎日、外に出ろというようなものだ。それでも。
「一年に一度くらい、頑張ってよ」
眩いツリーの下に、長身痩躯が見える。すれ違う人たちがビクッと後ずさるので良く目立つ。その反応はわからなくもない。焦ったカルナの迫力はすごい。
ジナコはカフェにいると言ったのに、忘れてしまったのか。連絡も来ていない。スマホが故障したのだろうか?
大事の時にこそ、カルナは不運に見舞われる。スマホの故障は正解で、店名を伝えていなかったと気づいたのは、店を出た後だった。
「ジナコ!」
「ひえっ、声が大きい!」
一気に視線が集まるのを感じる。ボッと頬に火が灯ったのは不可抗力だ。人違いです! と回れ右をしたくてしょうがない。
だが、プレゼントだ。いつでも止められることで、でも今日まで来た。
ジナコはカルナにクリスマスプレゼントを贈る。彼が欲しいというものを用意する。ノーと言うことは滅多にない。
絶対ではないから、ジナコはプレゼントをラッピングしてみせる。
◇◇◇
カルナにとって、ジナコ=カリギリは姉のような女だった。
あくまでも「ような」。カルナは、彼女を姉と思ったことはない。好きなのだ。家族愛とはとても表せない欲を孕んだ感情で、カルナはジナコを愛していた。
いつからかはわからない。幼い頃は純粋に姉のような人を慕っていたように思う。気づけばそれが変質していた。
元から似たようなものだった、とは異父弟の言である。つまりカルナは、出逢った当時からジナコを欲の目で見ていたと言うことか。カルナは愕然とした。異父弟は「めんどう」とジナコのようなことを言った。
世辞でも仲が良いとは言えない兄弟だ。だが落ち込む異父兄に面倒と言うのはどうなんだ。カルナは悄然としながらも、ふと思い至った。
ジナコがカルナを面倒と評す時は、誤解が生じていることが多い。
「もうっ、どうしてそう一から十まで、悪い方に考えるのよ。いつものポジティブはどこに行っちゃうんスか?」
ジナコに窘められたことは一度ではなかった。もしかしたら異父弟の指摘は、カルナが幼少時よりジナコを欲の目で見ていたことではないかもしれない。
カルナは問うた。異父弟は怒った。キレたとも言える。畏友のような怒髪天であった。
「何故、私が貴様の幼少時からの性癖を把握していると思う!?元から貴様はジナコは自分の姉で、私の姉ではないと訳のわからんことを言っていただろう。私が頼まれ事を引き受ければ、それは自分の役目だとのたまう。悪びれもせずだ。今と大差がない。そういう話だ」
一息に言い切った異父弟は、良く人を見ている男だった。
カルナは昔からジナコに狭量であったらしい。弱い犬は良く吠えるというものだろうか?
カルナはできることが少ない。自分で役立つことがあればしたかった。ジナコの傍においてもらえる価値が欲しかった。
好きなのだ。愛している。恋している。終生、共にと誓うことができたなら。
カルナはいつか終わる最期の時、その手を握れる場所にいたい。ジナコはカルナの欲に気づいている。だが、何も言わない。カルナはその寛容に甘えている。
言いたいことは、最後まで言えないままでいい。告白はカルナの人生からジナコを奪う可能性がある。同じ気持ちは持てないと言われたならば、カルナはジナコの弟のようなものでもいられなくなる。仮定ですらゾッとした。
姉弟のような関係は、欲しい一番ではないが悪いものではなかった。彼女の好意は無防備で、男と意識されているとは到底思えない。そういう言い訳も探した。
他の誰のためでもなく、カルナのために。この欲は告げない方が良い。そう自分に言い聞かせた。だというのに。
「カルナさん、決まったら教えといて」
一年に一度、ジナコはカルナの欲しいものを贈る。物でも時間でも、自分にできることならば、と伝える。
最初は、クリスマスプレゼントを譲る行動を諫められてのことだったように思う。
『いいっスか、カルナさん。ジナコさんのプレゼントを誰かに施したら嫌いなる。絶対許さないからね!』
『意味のないことをする』
『かーっ、可愛くない! 無愛想な上に口が悪い!!』
ジナコはカルナの頬を引っ張った。幼い頃はカルナの頬も柔らかかったのだ。
彼女は、カルナの頬が紅くなった理由を思いもしないだろう。約束せずとも、譲れるわけがなかった。
毎年、少しずつ確かめた。ジナコができること。カルナに許してくれること。気の長い料理店のようなことをしていると、友は言った。
今年はデートを求めた。クリスマスイブに、外で待ち合わせをしたいと告げた。ジナコが冬を嫌っていることを知っていた。
「お疲れっス。二時間みといて正解だったでしょ?」
「すまない、待たせた」
「はいはい、待ったっスよ。でも待つって言ったのはボクなんで、すまないは一度で。それよりほら、後ろ向いて」
パタパタと、小さな手がカルナのコートを叩く。
「ジナコ?」
「汚れてる。怪我はないみたいだけど、気をつけてよね。ボクは、カルナさんが元気でいてくれないと困る」
「気をつける」
「よろしい」
ジナコがニッと唇を笑みの形にする。その小さな紅色は、不思議と濡れたように艶めいていた。
「……珍しい顔をしているな」
「言い方。いつもと違うデートの相手に、他に言うことないんスか」
ポスリと背を小突かれる。カルナはジナコを見つめ直した。ココアブラウンを背に揺らす人に想うのは、一つだった。
「大丈夫だったか?」
「もう一言」
「一人で待たせた。不快な目に遭わなかったか?」
言葉を選んで尋ねると、ジナコはガクリと肩を落とした。
何を当たり前のことを聞いているのだと自分でも思う。だが、口にせずにいられなかった。
「遭ったっスよ。クリスマスイブにカフェで二時間って、かなりの罰ゲームっスよ?」
「そうだろうな。当然だ」
カルナは約束の時間に遅れた。事情はあったが、悪いのはカルナだった。上手く誤解を解くことができなかった。
「ねぇ、なんでそんな怒った顔するの」
問われ、カルナは自分の顔が強張っていることに気がついた。感情が顔に出ない性質だと言われてきたが、何事にも限度はあった。
「外で会うことを望んだのはオレだ。不満を覚える愚かさはわかっている。だが、何も思うなというのは無理だ」
「過保護か。今日はイブだし、笑われるのは覚悟の上っスよ。そういうの、いちいち気にしてたら外になんて出られないし」
「笑われる? 声をかけられるではなくか?」
「――はい?」
ジナコがパチリと目を瞬く。思いもかけぬことを言われた。そう、その顔は言っていた。寒さからだろう。薄く色づく頬に、カルナは指を重ねた。
「一人ならば、期待する。目にすれば欲しくなる」
もう一度、ジナコが目を見開いた。瞬く睫毛の影で、金の光が煌めいている。イルミネーションの灯りだった。星明りもあるかもしれない。大きな榛の瞳は、街を歩けばもっと様々な光を映すだろう。
カルナは、ジナコの瞳に射す翳を知っている。どんな光も届かないように思えたそれに、再び世界を見ることを教えたのはカルナではなかった。
「ええっと、それはそのー、お姉さんひとりなの遊ばない的アレのこと」
「それのことだ」
「マジか。あー、嘘ついてもバレるから言うけど、あるにはあった。なので、ジナコさんは頑張って断った。二度とごめんだけど。あの手の人たちって、なんであんなに自信満々なんスかね?」
クスリと笑うと、ジナコはカルナに手を伸べた。
「カルナさんが色々くれるから、ジナコさんでもコーディネイトに困らなかったけど、今日で良くわかった。デートするなら、あとひとつ足りない」
「足りないとは思えない。十分以上に可愛い」
彼女を見るたび、カルナは頭の奥が熱くなる。カルナの贈るものは、欲が実を結んだようなものなのだ。
ジナコはギュッと唇を引き結んだ。不機嫌そうな顔で、でも紅く染まる頬に鼓動は跳ねる。
「足りないでしょ。どんな人が来てもお断りできる。これからもデートに遅れて来る確率百パーセントのカルナさんも安心できる、最強アイテム」
柔らかな手がカルナの左手に触れる。ヒヤリとした指先に、カルナは自然とその手を掴むことができた。
「ジナコ、結婚しよう」
「良いけど、どうして?」
滲む声がカルナに問う。震えるようなそれに、息が止まりそうになる。
言いたいことは、最期まで言えなくてもいい。失くすぐらいならば。ずっと言い聞かせてきた。大切で、大切だからどうして良いかわからなくなった。
「足りないと、気づいたんだ」
小さな指が辿った薬指の意味。愛しいと、恋しいと、その欲しい心がすべてだった。
ジナコは冬を厭う。凍てついた雪を見る時、思い出す光景は一つだった。これからも忘れることはないだろう。それでも想う。一つずつ重ねたい。
温かいもの、優しいもの、美しいこと、幸せなこと。
たとえばクリスマスにデートをするように、たとえば白い指に約束を口づけるように。
いつからか、いつでも終わりにできることであったけれど。
「キミが好きだ。結婚しよう」
届いた想いの中で、光は揺れる。
告白は冬。雪の季節と決めていた。
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